第68話 決壊
第67話のおさらい
静一が自宅に辿り着いた頃には、すっかり日は暮れてあたりは暗くなっていた。
玄関には静一を待ち構えているように静子が立っていた。
静子は、また吹石さんといたのかと問う。
それを否定する静一。
「……ちがう…ちがう…! おばちゃんが…!」
それだけ言うと、息を切らして力尽きたように地面に膝をつく。
疲労困憊の静一に中に入るように促す静子。
リビングには、クリスマスツリーが飾られていた。
静子は、静一に温かい牛乳を飲ませてから、何があったのかと切り出す。
静一は伯母が学校帰りの自分を送ると車に乗せて、自分を問い詰めてきたことを説明する。
「しげちゃんが…喋ったんだって。……あのときの…ことを……」
静一は伯母が、しげるの静子に突き落とされたという主張を信じて、自分に本当のこと言えと脅迫してきたのだと続ける。
「僕らのこと…”ひとごろし親子”だって……」
静一の説明を受けて、静子は楽しそうに笑ったあと、それだけ? と静一に話すを促す。
次に静一は、猫の死体に触れた自分の幼い手に黒いシミが生じた映像を思い出し、3歳の時に自分がケガをしていたことを切り出す。
「…本当?」
そう問われ、静一が見たのは不自然に右上に視線をそらす静子だった。
「もうみんな…知ってるんかな?」
静子はうっとりとした表情で、義父、義母、義兄、一郎、全員が、自分たちが悪者のひとごろしだだと思っているのか、警察が捕まえに来るのか、と呟く。
「そしたら私…やっと出ていけるんかな? この家も。ぜんぶから。ぜーんぶ。」
そして静子は頬杖をつき、楽しそうな笑顔を浮かべる。
「いつくるかなあ? いつ私を連れ出してくれるかなあ? あー楽しみ! うふふふふっ!」
そして静子は静一に、自分がいなくなったら一郎たちと生きて行けるかと問いかける。
静一は大粒の涙を流し、それを否定する。
「いやだ…ママが…悪者にされるなんて…ママが…つかまるなんて…」
目を細めて、静一をじっと見つめる静子。
「そんな…そんなことになったら…僕は…僕はあいつらを…ゆるさない…!」
静子はテーブルに突っ伏したまま、目を細めて問いかける。
「ゆるさなかったら…なにしてくれるん?」
その質問を受け、瞬固まる静一。
「ゆるさな…かったら………」
確認するように呟くのみ。
静子は、ママはね、何もできなかった、と切り出す。
「ただずーっと。この家で。一郎と静ちゃんの世話してただけ。ゆるせないって思いながら。」
遠くを見つめる静子。
「ぜんぶゆるせないの。だから消えちゃうしかないの。私は。」
静一は静子に近づき、その背後から、そっと彼女のことを支えるように体に手を添える。
「ママが消えちゃうなら…僕も一緒に消える。」
「ママ…」
静一は目を伏せたままの静子を見つめていた。
第67話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。
第68話 決壊
真っ白な世界
「…みなさん……明日から冬休み………」
教壇で教師がクラス全員に向けて話しているが、静一にはほとんど聞こえていなかった。
「…っかり宿題……」
静一の視界からは、一切の色が失われていた。
真っ白な世界で静一は自分の心を閉ざしており、教師の声はもはや意味を持った音として聞こえていなかった。
静一の脳裏ではしげるや伯母が怒っている。
(ひとごろし親子!)
激しく自分と静子を詰る伯母。
「……ゆるせない……ゆるせない……」
ボソボソと呟く静一。
(ゆるせないなら、なにしてくれるん?)
静一の脳裏に浮かんだ静子は頬杖をつき、余裕のいっぱいの表情で、まるで自分を試すような言葉をかけてくる。
次に思い浮かんだのは、静子が警察官に手錠をかけられて今にも連行されようとしている場面だった。
(バイバーイ。静ちゃん。)
呆然としている静一に静子が冷たい視線を向ける。
(なんにもできないんべ。やっぱりパパと一緒。やくたたず。)
今にも泣きそうな風に静一の表情が歪む。
「……ちがう…ちがう ちがう」
教壇から聞こえる教師の声は、静一にはもはや意味を成しておらず、音でしかなかった。
「ちがう…」
「ちゅうもーく。」
クラスメートが一斉に立ち上がる。
「れーい。」
しかし静一はただ一人、椅子に座ったままだった。
ようやくホームルームが終わったことを知り、静一はおもむろに立ち上がる。
来訪
学校からの帰りの道も、教室内で静一が見ていた景色と同様に辺りは真っ白だった。
「どうにかしないと はやく」
歩きながら同じフレーズをブツブツと繰り返す。
「どうにか…」
ようやく家に着くと、静一は敷地に車が停まっていることに気付く。
急いで玄関の扉を開けて、居間に駆け込む静一。
散らかった居間には一郎、静子、そしてテーブルを挟んで対面には伯母夫婦が座っていた。
目の前の光景に静一は驚いていた。
一郎と伯父はやって来た静一に視線を向けるが、伯母は目を見開き、真正面の静子から決して視線を外さない。
静子もまた伯母を真正面から見つめ返していた。
伯母は静子を射殺すが如く、挑みかかるような視線で睨みつけている。
静一のいる角度からは静子がどのような表情で伯母の視線を受け続けているが知ることは出来なかった。
「…静一。おかえり。」
静一に視線を向けた一郎が言葉をかける。
「ちょっと2階に行ってなさ…」
静一は威嚇するように伯母に向けて足を踏み出す。
「出てけ!!」
激しく伯母への拒否感を表明する静一。
「出てけよ!!!」
しかし伯母は全く表情を変えることなく、正面の静子からも決して視線を外さない。
一郎と伯父は言葉もなく静一を見つめていた。
自供
「やめて静一。」
静子が口を開く。
静子もまた伯母と同様、正面の伯母から視線を外さない。
「もう、いいから。」
静子の観念したような表情を見て静一から血の気が引く。
「静子さん。ちゃんと答えて。」
伯母は今、まさに核心を突く質問をしようとしていた。
「しげるを、しげるを突き落としたの? 静子さん。答えて。」
静子は落ち着き払ったまま、全く表情を変えない。
しかし静一は衝撃を受けていた。
「姉ちゃん…待てよ!」
一郎が静子を庇って割って入る。
「そんな…ことあり得ないんべに!? だってなんで…」
「一郎君。」
冷静に一郎を諫めたのは伯父だった。
「俺だって信じたくねんさ。だからこうして来てるんだがん。」
「答えて。」
嘘偽りは決して許さないという迫力で伯母は静子に追い打ちをかける。
ゆっくりと目を閉じる静子。
静一はその様子を息を呑んで見守っていた。
静子は目を開き感情が一切読み取れない落ち着き払った表情のままあっさり答える。
「そうだよ。」
静一はまるで自分が溶けていくかのように感じながら静子の自供を聞いていた。
「私が落としたん。」
感想
色をなくした
静一の世界が完全に色を失った。
今回の話はとにかく冒頭からの白を基調にした描写が続いている。この表現力、すさまじいな……。
音はわずかに籠ったように聞こえるのみ、周りの何もかもがほとんど静一の視界に入っていないことがよくわかる。
この漫画は徹底して静一の視点から描かれている。
描写のされかた自体が静一の心情を表現しているということは、押見先生が何かのインタビューで答えていたように思う。
いよいよ静一も完全に追い詰められたということがよく伝わってくる。
もはや静一の頭の中には、このままだと警察に捕まってしまうであろう静子を如何にして救い出せるかという考えしかなくなってしまった。
静一がその考えに囚われているもっと根本には、静子に自分の存在意義を認めてもらえなくなってしまう恐怖があるように思える。
とにかく、もはや静一はまともに日常生活を送れる心境にはないことは確実だ。
唯一、ありのままの自分の味方であった吹石はいなくなった。
しかし静一が自分の理解者として縋りつく対象として選んだ静子は、自分に父以上の役割を求めてくる……。
静一があまりにも可哀想すぎる……。
吹石ではなく静子を選んだ時点で静一がまともな日常生活を送れる、幸せになるとは思っていなかった。
しかしまさか伯母がしげるが静子に落とされたことに気付いてしまい、ラストの場面のような凄まじい修羅場に直面してしまうことになってしまうとは……。
静一が健気なのは、静子を問い詰める伯母にこの期に及んで食って掛かったこと。
学校でも必死に考えていたように、静子を救わんと自分なりに出来ることをやったのだ。
しかし静一のそうした心境を理解し、労ってあげられる登場人物は静子を含めてどこにもいない。
せめて静子自身が静一に「もう充分、ありがとう」とでも一言声をかけてあげるだけでも静一にとっては違うはずなのだが、自分しか見えていない静子にはそんな気遣いが出来ようはずもない。
まだ描写されてはいないが、おそらく静子は近所づきあいは普通に出来ていると思う。物語が進むごとに静子が自分の地を静一や一郎に見せてきたのは、実の夫や子のような身近な人にだけ見せる助けを求めるシグナルか、それとも一種の甘えだったのだろうか。
ラストのコマで静一が溶解しているのは、これからいよいよ何もかもが自分から失われようとしていると感じた彼の心情を表現しているのだと思う。
今の自分をかろうじて成り立たせているのは静子と一緒に生活することと、静子に認められることだけ。でもこれから静子が収監されることで、それすらも静一から根こそぎ失われてしまう。
自供
静子がついに伯母からの尋問に対して自供した。それもあっさりと。
そうなる兆候はすでに色々あったけど、ついに来たか……、という感じだ。
これで静子は警察に捕まる。これから伯母夫婦を伴い、警察に自首するのかな。それだと自首にはならないのか?
これから一郎も静一も大変なことになることは間違いない……。
元々、静子からは自分の犯行を何としても隠し通すという意思は感じられなかった。
しげるを突き落とした直後こそしげるが勝手に落ちたことにして自分の犯行を誤魔化したものの、病院で静一が警察から簡単な事情聴取を受けていた際の静子の態度。あれは静一が警察に何をどう喋ろうと構わないような態度にも見えた。
あの時の静子には、静一が自分のことを守るためにしげるが勝手に落ちたと証言するだろうという計算、読みがあったのかもしれない。
静一が警察の質問に答える前、彼の肩に静子がそっと手を置いたのは、静子が静一に「お前本当のこと言うなよ? わかってんな?」と釘を刺したのだとばかり思っていたし、今でもそう思っているんだけど……。
だが、もし静子にそんな計算が一切なく、肩に手を置いたのは「好きに答えなさい」というメッセージだったとしたら、その前後の静子の表情は警察にしげるの事故が自分の犯行とバレて、捕まってもいいという投げやりな心情の表れだったということだろうか。
結果的に静一は静子がでっち上げたしげるが勝手に落ちたというストーリーを踏襲するに至った。
しかし今思えば、それは静子にとって良かったのか……。
その後、一郎、静子、静一の3人でしげるの見舞いに行った帰りに寄ったうどん屋で、静子はしげるが自分を落としたのは静子だと覚えていなかったことを残念がっていた。
「やっと……出ていけるって……思ったのに」
このセリフから推測するに、静子は今の自分の生きている環境が嫌で仕方なく、自分を無理やり連れだしてくれる何かを心待ちにしているようだった。
それがしげるを突き落とした犯行により警察に捕まることだったのだが、肝心のしげる本人は覚えていなかったことで静子からしたら期待が裏切られたような心情だったのだろう。
静子は1話目以前からすでに、自分の家族をはじめとした全ての環境が嫌だから、それを破壊してくれる何かを常に探していたのだろうか。
そしてあの崖で警察に捕まれば自分の望み通りになると考えてしげるを突き落としたのか?
犯行直後は取り返しのつかないことをやってしまったと静子の内にある良心が叫んでいたが、
1巻時点では自分は、静子がしげるを突き落としたのは静一の安全のためだと思っていた。
そして話が進んでいく内に静子は伯母への嫌悪を示していたから、伯母への復讐心が複合的に絡んでいたのかな……とも考えるようになった。
しかしうどん屋での静子の「やっと出ていけると思ったのに」という呟きから、実はもっと静子自身の利己的な想い、彼女の抱えている闇の深さが原因だったのかもしれないと戦慄するようになった。
「やっと出ていけると思ったのに」
それなら最初から離婚するなりして今の家から出て行ったら済んだと思うんだけど、静子にはそれが選択肢として浮かばなかったのだろう。以前も書いたが、仕事に不安があったのかな……? 色々考えたが、全ては想像に過ぎない。静子が伯母を前に罪を認めた今も、未だ答えは闇の中だ。これから警察で全てが詳らかになるのだろうか。
クリスマス、そしてこれから正月と楽しいイベントを控えた時期に静一はとんでもない修羅場を迎えた。
静子、一郎、伯母夫婦が集う散らかった居間で存在感を示すクリスマスツリーが何とも虚しい。
これから静子は、一郎は、そして静一はどうなってしまうのだろうか。
いよいよ物語も終わりに近づいてきたか?
せめて静一には、人生に一筋の希望が見えるような終わり方を望みたい……。
以上、血の轍第68話のネタバレを含む感想と考察でした。
第69話に続きます。
あわせてよみたい
押見修造先生のおすすめ作品や経歴をなるべく詳細にまとめました。
血の轍第5集の詳細は以下をクリック。
血の轍第4集の詳細は以下をクリック。
血の轍第3集の詳細は以下をクリック。
血の轍第2集の詳細は以下をクリック。
血の轍第1集の詳細は以下をクリック。
コメントを残す