第83話 出口
目次
第82話のおさらい
静一は、吹石のすすめに応じて、互いの母親の似顔絵を描いた体操着の袋を母に見立てて石を振り下ろす。
当初は戸惑い気味に石を投げていたが、すぐに力を込めて投げ落とすようになっていた。
「ああっ!!」
声を上げて石を叩きつける。
やがて、吹石も一緒になって袋に石を投げ落とし始める。
二人は見つめ合ってほほ笑むと、何回も何回も、石を持ち上げては袋に投げつけるのだった。
たちまち、袋に描かれた似顔絵が汚れ、痛んでいく。
静一には袋が、まるで恐怖に駆られながら、石を打ち据えられて苦しんでいる静子ように見えていた。
いよいよ静一は、楽しそうな顔で袋に石を打ち据えていく。
「死ねっ!!」
吹石も、満面の笑みを浮かべて、楽しそうに石を投げていた。
「死ねっ!!!」
静一も、死ね、と声を上げ始める。
二人は何度も、死ねと言って、夢中で石を投げ落していた。
夢中で、死ね、と言いながら投石で袋に打撃を加える内に、静一は自分の中の静子が、さながら人形の如く、四肢あるいは首が捻じれて、顔が潰れた悲惨な姿になり果てていくのを感じて喜びに震えていた。
そして二人は、ボロボロになった袋を一緒に持ち上げると、呼吸を合わせて川に向かって袋を放るのだった。
川の流れに乗り遠ざかっていく袋を、静一と吹石は並んで見つめていた。
やがて二人は自然に向き合うと、口づけをするのだった。
好きだ、僕のそばにいて、と真剣に、力強く告白する静一。
そんな真っ直ぐな視線を受け止めつつ、吹石は微笑む。
「ずっといるよ… ずっと。」
二人は互いに頬に触れあう。
「生きていこう。二人で。」
静一は安心したようにうっとりと眼を細めていた。
「生きていこう…」
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第83話 出口
取り調べに動じない静一
2月10日。
「静一君。」
静一は警察署の取調室で、刑事から事情聴取を受けていた。
「お母さんは何なんだろう?」
何がお母さんを突き動かしたのか、何が一番不満だったのか、と矢継ぎ早に質問する刑事。
静一は視線を落とし、しばし考えてから、わかりませんと答える。
「僕には理解できません。わかろうとも思いません。」
全く感情を見せない。
「…考えてみて。」
少々投げやり気味な返答をする静一に、刑事は静一の考えを聞きたいと呼びかける。
「お母さんは何を言っていた? まだ思い出してないことがあるんべ?」
「今までずーっとお母さんと過ごしてきたんべに。な?」
「…忘れました。」
そう答えた静一の表情は全く変化していなかった。
刑事は黙ったまま、静一から視線を逸らす。
母を強く拒絶する
静子の弁護士が、一郎への報告のために長部家に来ていた。
弁護士と一郎は、居間でテーブルを挟んで向かい合っている。
弁護士は、静子の精神鑑定が来月に終わる予定であること、その結果、責任能力が有りと判定されれば検察による起訴か不起訴かの決定が行われること、そして、仮に起訴されたら有罪の可能性が高いと説明する。
一郎からの、起訴されるのかという問いに、弁護士は、そのために警察は動機を固める捜査をしているのだと答える。
ですがおそらく……、と弁護士が話を続けようとすると、静一が居間の入り口に立っている。
弁護士は静一に挨拶し、学校は大丈夫かと訊ねる。
その問いに答えたのは一郎だった。
「………はい。三学期はずっと休ませてます。」
それがいいです、と弁護士。
一郎はその流れで、区切りがついたらやり直すために引っ越す考えであることを告白する。
「お父さん。離婚は?」
静かに、しかし端的に静一が問いかける。
「離婚するって言ったがん。いつするん?」
一郎は切り出し辛そうに暫く黙っていたが、やがて、ママとちゃんと話し合いたいと答える。
「全部パパのせいだって……思ってるから……」
「ママの精神鑑定が終わったら…面会できるんだって…」
「会いに行こう…ママに。な?」
眉を八の字にして、縋るような目で静一を見つめる一郎。
「行かない。」
間髪入れることなく、拒否の意を示す静一。
若干こわばった無表情には、静一の静子への強い拒絶がありありと表れていた。
「僕はもうあの人に会いたくない。刑務所に入ろうがどうでもいい。」
「僕は、一人で働けるようになったら、出ていくから。」
「あの人にはかかわりたくない。一生。」
静一のあまりにも強い意思を前に、一郎は言葉を失っていた。
その目に涙が滲む。がくりと肩を落とし、俯く一郎。
弁護士は、気持ちはわかるよ、と諭すように静一に言葉をかける。
「でも…家族との縁はずっと続いていくものだから。」
静一は黙ったまま弁護士を見下ろしていた。
「長部さん。がんばりましょう。」
弁護士の励ましの言葉にも、一郎は俯いたまま反応できなかった。
電話
弁護士が帰った後、一郎は居間で酒を飲み、テーブルに突っ伏していびきをかいていた。
静一は自室に電話の子機を持ち込み、吹石と電話をしていた。
お風呂に入って部屋にいると自分の状況を伝える静一に、吹石も、部屋にいると答える。
自然な会話で次に会う約束が決まった後、話題は静一の引っ越しに移っていた。
会いに行くという吹石に、僕も行くと応じる静一。
そして静一は続ける。
「いつか…二人で暮らしたい。この町を出て、あの人からも…お父さんとも関係なく。」
「二人で生きていけたら、他に何もいらない。」
そうだね、と吹石。
そして互いに好きだと伝え合う。
(大丈夫…)
静一は受話器を耳にあてたまま目を閉じる。
(僕は…もう大丈夫だ。大丈夫だ。)
目を開けると、雪が降っている事に気付く。
窓を開けて空を見上げる静一。
「…吹石。雪だ。」
感想
静子との精神的な決別
前回の儀式は効果てきめんだったらしい。
どうやら静一は静子との精神的な決別を果たしたようだ。
静子を見捨てたくない、面会に行こうと言う一郎に対し、静一はあの人とは一生関わりたくないと強い拒絶を示す。
それも、無理に言っているのではなく、完全に腹を決めた様子だった。
多少の説得では、気持ちが揺らぎもしないだろう。そんな目をしている。
何より、静子のことをママではなく、あの人呼ばわりした。
ごく自然に、何の気負いもなく静一の口から出た、あまりにも冷徹な呼称……。
それは一郎にとって思わぬ一撃だったのか。
息子が母への明確かつ強固な拒絶を示していることに、一郎は完全に打ちのめされたようだ。
言葉を失い、涙を浮かべてしょげてしまう様子があまりにも悲痛で見てられん。
父親として、感情のままに静一の生意気な態度を一喝しても良いシーンかなとも思ったんだけど、しかし静子がやらかしたことは重大だし、一郎の性格上、そんなことは出来ないのだろう。
後から書くが、もしかしたら静子が一郎に不満なのはそういう所なのかもしれない。
もはや、長部家完全崩壊の流れは止められないのか……。
以前は静子に支配され続けていたら静一はどうなってしまうのか、などと戦々恐々としながら物語を追っていた。
しかし、その静子が劇中から去り、静一が立ち直ったというのに、なんだろうこの不安な感じは……。
ラストの静一の、自身に対して「大丈夫」と繰り返すシーンが、その後に始まる新たな悲劇へのフリではないかと感じてしまう。
大切な恋人の存在で立ち直るというのは、良い関係性だと思うし、美しい話だ。でもそれで終わらせないのが押見先生の作品だと思う。
特にこの作品に関しては、どんなに幸せそうな風に話が終わっても、先の展開を想像すると、そこに必ず粘っこい不安感がまとわりついている。
恋愛を唯一の支えにすることの危うさ
静一が静子どころか一郎すらいらないと強い態度でいられるのも、吹石との未来があると信じているからだ。
正直それも危うい気がするんだけど、でも以前のマザコンと呼ばれるような状態よりは良いのかな。
静子の支配を受け入れていた頃は、本当に深刻な状態で、いつ自殺してもおかしくないほどだったから、それに比べれば今の静一は全然マシに思える。
強いストレスを受けている分かりやすいサインだった吃音も全く出ていないようだし、精神的に安定しているのは間違いないだろう。
ただ、今の静一は、精神的な依存先が静子から吹石に代わっただけでは? とも思ってしまった。
確かに吹石という最愛のパートナーの存在に頼ることでドン底から立ち直るというのは良いんだけど、あまりにも吹石に縋りつくのは危険な気がする。
地域に吹石以外の味方はいないし、静子はもちろん一郎すら見放している感がある今の静一には、もはや生きる希望が吹石との未来しかないのだろうから、無理もないんだけど……。
若い頃に限らず、恋愛関係が壊れる時は一瞬だということを知っていると、恋人に縋りつくようにして生きようとしている静一の行く末にどうしても危うさを感じてしまう。
確か、恋愛感情は数年で終了するという研究結果があったように思う。それが正しいかどうかは知らないけど、恋愛感情はずっと続くものではないとは経験上自分も大いに感じる。まるで静一が、今の吹石との浮ついた気持ちが、お互いにずっと同じ状態で持続すると思い込んでいるように見えて、それがどうしても危険に思える。
特に、今はまだ付き合い初めで互いに熱が最高潮に高まっているだけに、まずその熱が冷めた時にどうなるのかな……。
静一から吹石との関係を終わらせられるなら、それは静一が吹石に依存していなかったということだからまだ良い。
でも、もし吹石が静一に対して冷めてしまったら、その時はどうなる?
静一は吹石との未来を精神的な支柱として、それに縋りつくことで精神的に安定して生きているのに、それをスッポリと失ってしまったらまたヤバイことになりそう……。
人に限らず、万物は絶えず変化していくし、それが必ずしも好ましい変化とは限らないということを静一は知らなくてはいけない。
吹石のこれまでの静一への関わり方を振り返る限りでは、彼女は一途な女の子だと思う。
だけど、今後静一と向き合う内にうんざりしたり、あるいは飽きてしまって関係の終焉を望むようになる可能性は十分にある。
とはいえ、前述したけど今の静一にとって唯一の希望が吹石との未来であり、それが彼を救っていることは間違いない。
吹石と付き合う内に、静一のボロボロだった内面が完全に癒され、仮に別れて一人になったとしても生きていけるだけの強さを養えたら良いのだが……。
一郎が静子の期待に応えられなかった?
一郎はまだ、静子のことを見放していないようだ。
静子とは高校からの縁のようだし、情も湧くだろう。
普通なら、そう簡単に見捨てられない。
あれだけ静子から拒絶されたのに、静子はとんでもない犯罪を起こしていたのに、それでも静子への愛は健在だったんだな……。
見捨てても全然おかしくないと思うけど、見捨てるどころか、何とか家族の修復を願っている。もはや静子が一郎に対して全く愛が無い様子を思い出すと、一郎が何とも不憫に思える。そして静一もまた静子は見捨てているし、一郎に対しても特に期待していない。
もうとっくに家族は分解している。そして一郎もそれを感じているから、静一の言葉に黙り、泣いたのだと思う。
一郎は優しいと思う。息子にあんな態度をとられたら、切れてもおかしくない。でも一郎は静一の想いを受け止めた。
しかし一郎は、静子がこうなったのも、ひとえに自分が悪いのだと主張しているようだけど、果たして一郎は自身のどこに静子がおかしくなった原因があると認識しているのだろうか?
おそらくだけど、一郎にはその見当がついているわけではないと思う。
今は、何とか家族の崩壊を防ぐ手立てを必死に考えるのに必死なのかもしれない。
これは以前から何となく考えていたことだけど、もし一郎に家族の崩壊を止められるような、ある種の強引さがあれば、そもそも静子はおかしくなっていなかったという可能性はないだろうか。
静子がおかしくなった原因は親との関係性にヒントがあると思う。
これまでの静子の親との関係性を匂わせる描写は、静子が吹石家で言った、親に愛されていなかったという言葉だけ。まだその詳細は公開されていない。
親に愛された実感がなかった静子が、疑似的に一郎に親の愛を求めたという可能性はないのかな? そして一郎はそれを静子に与えられなかったから、彼女は絶望しておかしくなった?
今後、静子の親との関係が描写されるその時を楽しみにしている。
もしそれが実現するとすれば、この話が静一の視点で描かれている以上、静子の証言になるだろうな……。
以上、血の轍第83話のネタバレを含む感想と考察でした。
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