第84話 呼び声
第83話のおさらい
2月10日。
静一は警察署で事情聴取を受けていた。
静子の犯行の動機ついてしつこく聞かれるが、わからない、理解できない、わかろうとも思わないとにべもなく答える静一。
何か思い出していないことがあるのではないかと問いかけても、静一からは忘れましたと返って来るのみ。
刑事は様子がうって変わってしまった静一に、閉口するのだった。
静子の弁護士が、一郎への報告のために長部家にやって来ていた。
弁護士は、来月に終わる予定の精神鑑定の結果、責任能力が有りならば起訴か不起訴のいずれかとなり、起訴されたら有罪の可能性が高いと説明するのだった。
警察は静子を起訴するために、動機を固める捜査をしているのだと続ける。
静一はいつの間にか、居間の入り口に立っていた。
弁護士の、学校は大丈夫かという問いに、一郎が、三学期はずっと休ませていると答える。
そして一郎は、区切りがついたら引っ越す考えであることを弁護士に伝えるのだった。
「お父さん。離婚は?」
話題の流れを無視して静一が端的に問う。
「離婚するって言ったがん。いつするん?」
それに対し一郎は、全部パパのせいだと思っているからママとちゃんと話し合いたいと答える。
そして精神鑑定が終わったら面会できるから、会いに行こうと静一に呼びかける。
「行かない。」
即座に拒否する静一。
静一は、もうあの人に会いたくない、刑務所に入ろうがどうでもいいと言って、一人で働けるようになったら、出ていくと宣言するのだった。
「あの人にはかかわりたくない。一生。」
静一の強い拒否に一郎は言葉を失っていた。
波を流し、力なく俯く。
弁護士は、気持ちはわかるよ、と静一を諭す。
「でも…家族との縁はずっと続いていくものだから。」
「長部さん。がんばりましょう。」
弁護士の励ましにも、一郎は俯いたままだった。
弁護士が帰った後、一郎はそのまま居間で酒を飲み、テーブルに突っ伏していびきをかいていた。
静一は自室に電話の子機を持ち込んで吹石と電話をする。
他愛ない会話をして、話題は静一の引っ越しに移る。
会いに行くという吹石に、僕も行くと静一。
そして静一は、いつかこの町を出て二人で暮らしたいこと、二人で生きていけたら、他に何もいらないと吹石に告げる。
そして二人は互いに好きと伝え合うのだった。
静一は受話器を耳にあてたまま目を閉じる。
(僕は…もう大丈夫だ。大丈夫だ。)
ふと外を見ると、雪が降っている事に気付く。
窓を開けて空を見上げる。
「…吹石。雪だ。」
第84話 呼び声
早朝の来訪
静一はベッドで目を覚ます。
枕元の時計を確認すると、まだ深夜の3時半前だった。
ふと外の様子が気になり、カーテンをめくると外は雪が積もり、一面が銀世界だった。
静一は窓の外に広がる光景に、嬉しそうに笑みを浮かべる。
防寒着を着て、庭に出た静一は、積もった雪の上をギュッギュッと歩く感触を楽んでいた。
降ってくる雪を手のひらに受けて、気持ちよさそうに目を閉じる。
ズ……
妙な音に気付く静一。
ズ、ズズ、と何かを引きずるような音が徐々に近づいてくる。
長部家の前の道を通って、静一の前に現れたのはしげるだった。
しげるは足を引きずり、体を左に傾かせている。
庭にいる静一としげるの目が合う。
「せい…ちゃん…」
静一は瞠目し、しげるを凝視していた。
雪の降る中、朝4時に長部家まで歩いてきたしげるに驚くあまり、中々言葉が出て来ない。
「…………」
「……しげ…ちゃん……」
しげるは鼻水を出し、体中が寒さで小刻みに震えていた。
頭に積もった雪が、外に出ていた時間の長さを静一に伝える。
「…………なん……なん…で……」
静一はしげるにそう訊ねるだけで精いっぱいだった。
しげるは口元に笑みを浮かべる。
「せーいーちゃん。あーそーぼ。」
「……ま…まって……どうして……」
しげるに夜中の四時に一人で訪ねてきてどうしたのかと訊ねる静一。
しげるは震え、白い息を吐きながら答える。
「静ちゃんとこ……行かなきゃ……って……思ったんさ…」
「…おねがい…あそびいご……」
静一はしげるの体が寒さで震えている事を指摘し、家の中に入るよう勧める。
しかししげるは黙ったまま、頭を横に振るばかり。
「……だって……しげちゃん……」
しげるは黙ったまま俯いていたが、やがて、静ちゃんお願い、と切り出して静一に視線を向ける。
「あの山行ご。」
「来て。静ちゃん。」
しげるはそれだけ言うと、振り向き、左足を引きズズっと引きずって元の道を歩き始める。
静一は遠く離れていくしげるを呆然と見つめていた。
しかしすぐに声をかける。
「……し……しげちゃん!! 待って!!」
静一はしげるを追い駆ける。
「しげちゃん!!」
感想
しげるの意図
朝4時の、まだ真っ暗な時間にアポなしで訪ねてくるとか、ちょっと尋常じゃない。
自分が静一の立場だったら間違いなく恐怖する。
しげるの意図は一体なんなのか。
静一の家としげるの家を行き来するためには少なくともバス、もしくは車を使うことが静一たちにとっては普通だと思われる。
しかしその道のりをしげるは不自由な足を引きずり、寒さに凍えながらもずっと歩いてきた。
一体、何時間歩いたのだろうか。何時に自宅を出たのだろうか。
この一事を考えるだけでも、しげるから相当の執念を感じる。
静子はしげるをひどい目に遭わせた。
その息子である静一に対して、しげるが何かしら恨みを向けることはあり得ると思うが……。
しかししげるの様子からは、犯人の静子が捕まっているから、その息子に復讐してやる! みたいな、安直な考えで行動しているようには見えないんだよな……。
もしそのつもりでこの感じなら、かえって恐ろしい……。穏やかに笑みを浮かべながら、頭の中では復讐のタイミングを虎視眈々と狙っているとか、恐怖しかない。
以前のしげるは子供のように怯えた反応を見せていたが、今ではかなり落ち着いているようだ。脳の機能がかなり回復しているのだろう。
しげるは、おそらく伯母から静子が捕まったことを聞かされていると思う。
その流れで静一が静子に味方し、伯母に対してひどい言動を行ったことまで知っていてもおかしくない。そもそも伯母は、静子と静一をイカれた母子扱いしていたし……。
伯母は静子と静一に憎しみを抱いている。もししげるが伯母から直接に静子や静一のことを聞いていなかったとしても、伯母のただならぬ様子から悟るものがあったのかもしれない。
やはり静一に何かしら仕返ししようとしているのか。ただ、直接殴るとかそういうことではなく、もっとこう、精神的に、真綿でジワジワと絞めるような追い詰め方をしたいのかな……?
犯人の静子は拘置所にいるから仕返ししたくてもできないし、結局、留飲を下げるために何らかの方法で息子である静一に怒りと憎しみをぶつけようと考えてもおかしくはないと思う。
しげるの歩き方を見ると、どうやら足に障害が残ってしまっているようだ。
性格も以前の静一に対する態度と比較すると、幾分か落ち着いているように見える。
溌溂としていて、事あるごとに静一をからかって困らせていたしげるはもうそこにはいない。
かつて元気だったしげるにとって、もう以前のように戻れないかもしれないという現実と向き合うのは、苦痛以外の何物でもないだろう。
その一事を考えてみても、しげるが静子や静一に恨みを持つのに十分過ぎる。
しかししげるの雰囲気からは、わかりやすく怒りや憎しみが放出されていない。
しげるの穏やかな話ぶりから、一見、静一に敵意を持っているようには見えなかった。
あの山に行こうと静一を誘う見開きのシーンのしげるからも、有無を言わせぬ迫力こそ感じたけど、その心の内に渦巻いているのは怒りや憎しみではないように見える。
もっと別の目的があるのか。
雪が降りしきる中、朝4時に不自由な足で、わざわざ山に行こうとする。
それも、山までの道のりは、おそらく徒歩で庭を散策する感覚の距離ではない。
それでもしげるが足を引きずってでも、寒さに凍えても静一と山に行こうとしている。
しげるは何をしようとしているのか。次回が今から気になって仕方ない。
以上、血の轍第84話のネタバレを含む感想と考察でした。
第85話に続きます。
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