第29話 課後の青春
目次
第28話のおさらい
帰宅途中、夜も遅くなってきたため、静一は自分を探しに来ていた静子に呼び止められる。
どこ行ってたん? という質問に固まる静一。
静子はじっくりと静一を覗き込み、静一を無言で威圧する。
静子は軽くため息をつき、教卓を蹴ったことを穏やかに、しかし呆れたような表情で注意する。
静一が無言で下を見いるのを見て、静子は顔を近づける。
そして鼻をひくつかせて、目を見開く静子。
「あれ? 何かいい匂いするんね。何の匂い?」
何も答えない静一を、静子は更に観察するように正面から覗き込む。
しかし静子は観察を止め、静一の手を引いて帰路につくのだった。
帰宅し、リビングで一郎を前に、項垂れる静一。
一郎に申し開きを促されても静一はかぶりを振り、ごめんなさい、と謝るのみ。
静一の反省の言葉を聞いた一郎は、とりあえず飯を食えと言い、静子にご飯の用意を指示する。
静一の前に、ご飯とみそ汁、そして魚の開きの用意される。
一郎は静子と静一に構わずテレビを見ていた。
静子は小皿に魚の開きの身だけを取り分ける。
静一はその作業の終了をじっと待っていた。
登校してきた静一が静かに教室の扉を開く。
すると教室の中で、吹石だけが自分の席から静一に笑顔を向ける。
その表情に同調するように、静一もまた頬を染める。
教室に入ってきた静一に気付いた小倉は、比留間、酒井と一緒になって静一を揶揄う。
彼らの揶揄に対して静一はただ黙ってその仕打ちに耐えていた。
英語の授業中、教師は次の文章を読む生徒に静一を指名する。
しかしすぐに思い出したように音読の順番を飛ばす事を提案する。
英語教師からの言葉に、答えようとする静一。
その時、静一は小倉が後ろの席の比留間と静一を見ながら何やら話をしているのを感じていた。
さらに、窓際の席の吹石が横目で静一を見つめている。
その視線に気づいた静一はついに、ゆっくりと口を開き教科書を音読し始める。
いつもは音読をパスしている静一が教科書をスラスラと読み上げている。
そんな静一の姿に教師やクラスメートの注目が集まる。
吹石は静一がスラスラと読み上げる様子を嬉しそうに見つめていた。
静一は流暢に教科書を読み上げ続ける。
静一の口にはいつしか笑顔が浮かび始め、長いセンテンスでも吃音はおろかつかえる事もない。
静一は満面の笑顔で夢中になって教科書を読み続ける。
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第29話 課後の青春
待ち合わせ
授業が終わり、ざわつく教室。
静一は自分の席で、首に指をあてて笑顔を浮かべていると、誰かが机の上にメモを置いたのに気付く。
顔を上げるとそこにいたのは吹石だった。
吹石はメモを置き、静一を横目で見ながら何も言わずに通り過ぎていく。
静一もまた黙ったまま吹石を見送り、机の上に置かれたメモを開く。
今日一緒に帰ろうね
放課後裏門のよこで
待ってるね
チャイムが鳴る。
静一は小走りに裏門へと向かう。
裏門から出た道に吹石は立っていた。
「行ご。」
吹石は笑顔で静一を迎える。
「うん。」
静一もまた笑顔を浮かべる。
静一の提案
とんぼの飛び交う中、並んで道を歩く二人。
静一は右隣を歩く吹石を横目で見つめる。
吹石は伏し目がちに、笑みを浮かべている。
「吹石。」
静一に呼びかけられ、吹石は静一を見る。
「…昨日のベンチ、また行がない?」
吹石は静一をじっと見つめてから、私もそう思ってた、と微笑む。
「喋れるようになったん?」
「え?」
吹石から質問を受ける静一。
吹石は静一がずっと喋れない感じだったから大丈夫かなと思っていた、と続ける。
静一は自身の喉にそっと触れ、話し始める。
ずっとのどがしめつけられていて苦しく、言葉つっかえていた。
しかし吹石の顔を見ていたらそれが治り、言えるようになった。息が出来るようになった。
そう言って静一は吹石を見て笑いかける。
「ありがとう。」
吹石も笑顔を返す。
二人の時間
広場にやってきた二人は、ベンチに並んで座っていた。
「ねえ長部、季節で何が好き?」
「え? んーとねー…やっぱり、春かなあ。」
「ほんと? 私も春好き――! 一緒だね!」
二人は他愛も無い会話をして互いに笑いあう。
幸せな空気が流れ、あっという間に日が落ちる。
辺りが真っ暗になっても二人はベンチに並んで座ったまま会話していた。
「暗くなってきちゃったね。」
吹石はそろそろ帰る? と静一に呼びかける。
「…あ…」
どこか浮かない表情になりつつも、そうだね、と返す静一。
吹石の家の人、お父さんとか怒るよね、と問いかける。
「私はべつに大丈夫。」
吹石は静一に笑いかける。
「怒っても気にしないし。」
長部は? と吹石は真剣な目を静一に向ける。
「お母さん怒る?」
静一は一瞬目を見開いた後、あー、と力のない声を出す。
”以心伝心”
「ねぇ長部。」
静一の様子をじっと見つめていた吹石が呼びかける。
「『以心伝心』って…知ってる?」
静一は吹石を見つめながら、言葉が無くても心が通じ合うこと? と答える。
「そう。」
吹石は静一とそういう風になりたい、と話し始める。
「長部の…どんなことも、わかってあげたいし、私のことも、わかってほしいし。」
「全部…どんなつらいことでも。」
「ね。」
静一は黙って吹石の言葉を聞いていた。
自身を見つめる吹石と目を合わせる。
その表情に笑顔は無い。
「…うん。」
帰宅した静一を待ち受けていたのは
自宅の前に到着した静一。
ゆっくりと玄関のドアを開ける。
「おかえり。」
明らかに静一を待ち構えていたように玄関に立っていた静子の姿に、静一は目を見開く。
静子は笑みを浮かべて静一を見つめている。
「どこ行ってたん? もう7時半よ。」
「…あ…」
口を開く静一。
そして自らに起こり始めた異変に気付く。
「………………」
静一は喉を両手で押さえたまま必死で声を出そうとするが出せない。
呼吸も困難な状態になり、その苦しさに声もなく苦しむ。
「んー?」
静子は不審な様子の静一に近付き、手で扇いで静一の匂いを嗅ぐ。
「まーーたいい匂いする。」
静一が自身の喉を押さえている手に、指先で触れる。
「どこでつけてきてるん?」
パン
静一は恐怖の表情を浮かべ、静子の手を振り払う。
全く予期しない行動を受け、静子は驚きの表情で静一を見つめる。
感想
吹石との時間
あまりにも羨ましい二人のやりとり。見てるとマジで溶けそうだ。
こんな時間を過ごしたことがある人にとっては郷愁に浸れるかもしれないけど、自分の様な不遇の学生時代を経た人間にとっては毒以外の何物でもない……(笑)。
これはジブリ作品の”耳をすませば”を観た後のダメージに酷似している……。
いやまぁそれは良いとして、静一は吹石のおかげで無事に言葉を取り戻せた。
ひょっとしたら静子の前以外でも置かれた状況によっては吃音がぶり返してしまうかもしれないけど、一時期に比べれば相当持ち直したことは間違いない。
付き合い始めてまだ二日目。幸せ最高潮の二人による、他愛ない会話の描写がたまらん。
どの季節が好き? とか可愛すぎるだろ。
放課後から暗くなるまで話していたということは、多分少なくとも3時間は話していたはずだ。
しかも、暗くなってきたから帰る? と吹石が切り出した辺り、二人の話題は尽きなかったと思われる。
食べ物は何が好き? とか、好きな本は? ウフフ、とか延々とやってたってこと? 死んで良い?
今回略されてたけど1話丸々使ってその会話を描いてくれてもいいのよ。
静一を通じて追体験させて欲しい。
そして読んだ後、その辺の高いとこから飛び降りて死ぬ(笑)。
胸を掻きむしられるけど読みたいんだよなー。何だろうこの気持ちは。
とにかく静一が羨まし過ぎる。
視界に特別なものが何もない広場のベンチに座って何時間も話せるとか、二人の相性はバッチリだと思う。
互いの相性を確かめるには喫茶店で何時間話せるかを確かめるのが良いとか何かで読んだことがある。
たとえ会話をしなくても、互いに居心地が良ければ相性が良いと言えるとか。
会話が尽きないならもちろんそれも良し。
何時間も二人で過ごせるあたり、本当に静一は吹石に救われたんだなと思う。
前回に引き続き、良かったね、と言いたい。
二人の気持ちは釣り合っているのか?
ただ、今回の二人の最後のやりとりから感じたのは、幸せオーラばかりではなかった。
静一の反応から一抹の不安が感じ取れたのだ。
最後のやりとりで、吹石は、静一と”以心伝心の関係になりたい”のだと言った。
どんなこともわかってあげたいし、自分のこともわかってほしいと静一に告げた際の吹石の様子から自分は、これまでの吹石からは決して感じられなかった”危うさ”を覚えた。
吹石は心から静一のことが好きなんだろうし、静一に告げたことは本心なんだと思う。
それを感じた静一の反応は、吹石の巨大な想いを受け止めきれていないようにも見える。
一瞬、自分に対して向けられた吹石からの強い愛情に、ひょっとしたら静一は静子の姿を想起したのだろうか……などと深読みしてしまったけど、多分それは違う。
単に、互いの好意が釣り合っていない時、こういう空気が生まれるのではないか。
特に子供は相手の自分に対する想いを計り切れずに自分の想いだけを一方的にぶつけてしまう。
そうすると相手は嬉しいと思いつつもたじろぐんだよね。
多分静一はちょっとだけ吹石の愛情に戸惑いを見せている。最後の二人の空気からそんな印象を受けた。
”女性”の描き方
吹石の静一に対する強すぎる愛情。
決してプラスの感情だけで終わらない。
やはりこのあたり、押見修造作品なんだなと痛感する。
どんな女性もプラスの側面ばかりを描かない。
完璧な”男性の理想とする女性像”を描こうとしないのは本当に素晴らしいと思う。
危うさ、醜さを必ず混ぜてるんだよなー。
女性誌にも短編を描いてたし、女性からも支持を得るわけだわ。
今回、一見すると話の最後、静一が静子の手を叩き落としたシーンが29話で一番印象に残るかもしれない。実際、引きとして強力だと思う。
しかし実は、吹石が最後に見せた表情と、それに対する静一の反応こそが重要だったのではなかろうか。
吹石の真剣な愛。それを感じて同じ熱量で返すことが出来ずに内心たじろぐ静一。
前述した通り、二人は相性が良いと言えるだろう。
しかし愛情の天秤が釣り合っていない場合も恋愛関係は破綻の方向に向かう。
二人の場合、吹石の方が静一に熱を上げているので、静一がそんな吹石の愛情にきちんと応えられるかどうかで関係が継続するかどうかが決まるんじゃないかな。
2018/9/29追記
静一が吹石の熱にたじろいでいるというより、「静一のことをなんでもわかってあげたい」という吹石の想いを受けて、静子の犯行を告白するという選択肢が静一の頭をよぎったという描写ではないかと思うようになった。というか、そっちの方が自然な気がする。
今後の展開は?
静一と吹石が上手くいくいかない疑惑をつらつら書いてきたが、しかしそれ以前に、静子VS吹石の展開が控えている。
こちらの方が今後の展開としては重要だ。
静一と吹石がケンカするとか上手くいかないといった展開がこの先あるとしてもまだまだ先で、おそらく暫く二人は仲良く平和に過ごすと思う。
昨日に引き続き静一が纏っていた”匂い”から、静子は明らかに静一の身に起こった異変を感じ取っている。
静一の変化。
それが夏に処理したはずの吹石との恋愛関係だと知った時、静子は一体どんな変貌を見せるのだろう……。
怖いけど楽しみなんだよなぁ。
これまでの物語で静子が明らかにヤバイのはもう大前提となっている。
どんな表情を見せても決して意外ではない。もちろん衝撃は受けるけど(笑)。
しかし、それに対抗していくであろう吹石もまた、静一への強い愛情を核にして自らの内に潜む女性としての強さを発揮する展開が予想される。
そして、それは狂気かもしれない。
”惡の華”を読んでいない人には全く何のことか分からないかもしれないけど、清純なキャラだった佐伯さんが仲村さんへの対抗心でどう変貌していったかを考えると、吹石の今後が心配になる。
佐伯さんはある意味仲村さんよりヤバイキャラだった。
読んだ人ならきっと分かってくれると思う。
「そうだ! 押見修造はそういうことをやる人だったわ!」と(笑)。
毎度お馴染みの強い引きで次号が気になる。
そろそろ静子が吹石の存在に気付くか?
その時が楽しみだ。
以上、血の轍第29話のネタバレを含む感想と考察でした。
第30話に続きます。
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私は、愛情の重さの違いと言うより、静一は母の異常な執着心のこと従兄弟のこと自分の罪など絶対他人には知られたくない部分がありすべて以心伝心にはなれないって思ってるからどう反応していいか困ったのだと思う。全部をわかり合いたいと思ってくれてる相手と全部は知られたくないと思う自分。 好きな人だから知られたくないこともあります。と、人に言えない秘密の多い私は思いましたw 全力でぶつかってこられちゃうと、こっちには触れて欲しくない一線があるから困るんですよね。好きなのに、拒絶したくないのに、すべてを話して欲しがられると困るし、その相手のすべてを見せられるほどの純粋でまっすぐな人生に負い目を感じる〜!
ねむさん、コメントありがとうございます!
確かにあまりにも重い秘密を抱えてますもんね。
それを知られてしまうのを静一が恐れたというのが何とも言えない表情の理由として説得力があります。
>こっちには触れて欲しくない一線があるから困るんですよね。
なんか分かります。というか、ある程度人生を生きてれば多かれ少なかれ共感できるんじゃないでしょうか。
言えないことがあって当然ですよ!
ただ静一は、自分には言いたくないことがあるということを上手に誤魔化せるほど大人ではないってことですね。
結局、静子がどこまでも静一の人生に陰を落としてるなぁという思いを新たにするばかりです。