第82話 生き返る
第81話のおさらい
静一は吹石に、三歳の頃、静子の手によって高台から落とされたと告白を始める。
目の前で静子が昔自分にしたようにしげちゃんを崖から落とすのを見ていたこと。
自分を守るために、『私はやってない』と嘘をついた静子に従ったこと。
しかし静一は、そうやって死んでしまった自分を生き返らせたいと涙を流す。
黙って話を聞いていた吹石も、自分も生き返りたいと言って、自分の母ついて語り始める。
自分は母に捨てられたが、自分の事を「捨てられた子供」と思いたくないと言う吹石。
そして吹石は、黙って話を聞いている静一に、ごめんね、と謝罪する。
それは静一が壊れないために母に同化するかのように無理やり従っていたのと同じように、かつて自分も静一に無理やり自分を同化しようとしていたことに対する謝罪だった。
「私は…、長部と本当の二人になりたい…」
互いに見つめ合う二人。
静一は吹石は、お母さんを嫌いかと問いかける。
僅かに微笑みながら、大嫌い、と答える吹石。
「…………僕も。」
微笑みながら答える静一。
あはは、二人で笑い合う。
やがて二人は自然に手を繋いでいた。
そして、もう片方の手で互いに身体を抱き寄せあう。
「…長部。おまじないを教えてあげようか?」
そう言って吹石が鞄から取り出したのは布の袋だった。
吹石は静一にマジックペンと袋を差し出し、袋に自分の母の顔を描くように呼びかける。
静一は戸惑いながらも袋とペンを受け取り、吹石に言われた通り、静子の顔を思い出しながら似顔絵を描くのだった。
吹石は静一から袋を受け取ると、今度は自分の母の似顔絵を袋の反対側に描き、紐を持って、袋を吊るようにして持つ。
「ふふ。じゃあ…このお母さんを、今から二人で殺すんべ。」
吹石は笑顔で静一に呼びかける。
第82話 生き返る
儀式
静一と吹石は、互いの母親の似顔絵を描いた体操着の袋を河原に置いて見下ろしていた。
このお母さんを殺すんべ、と袋を見つめたまま吹石が呟く。
吹石は両手で持てる程度の大きさの石を、はい、と静一に渡す。
黙って受け取る静一。
袋に描いた静子の似顔絵を見ている内に、静一は静子が自分を呼ぶのを感じていた。
(せーいちゃん。どうしたん?)
静一は袋をじっと見つめていたが、やがて吹石から受け取った石を振り上げて、袋に投げ落とす。
静子の顔は、石の下敷きになっていた。静一はそれを見て、ぎこちなく笑みを浮かべると、これでいいのか? とばかりに吹石に視線を送る。
笑みを浮かべて、コク、と頷く吹石。
静一は袋を圧し潰している石をゆっくりと拾い上げ、今度は頭上に石を持ち上げてから勢いよく袋に石を投げつけるのだった。
袋の似顔絵が石による一撃で汚れている。
「ああっ!!」
今度は声を上げて石を叩きつける静一。
それにわずかに遅れたタイミングで吹石が袋に石を投げ落す。
二人は見つめ合い笑うと、何回も石を持ち上げて袋に投げ落し始める。
袋に描かれた似顔絵が痛んでいく。
静一には、それが静子が恐怖の表情を浮かべて苦しんでいるように見えていた。
いつしか静一は、楽しそうに、そして恍惚とした表情で笑みを浮かべるようになっていた。
「死ねっ!!」
吹石は満面の笑顔で石を投げ落す。
「死ねっ!!!」
静一も吹石に倣い、石を投げ落す度に、死ね、と声を上げ始める。
何度も何度も、死ねと言っては、二人は夢中で石を投げ落していた。
告白
「死ねっ!! 死ねっ!! 死ねぇっ!!!」
静一の中の静子は、まるで人形のように四肢や首が捻じれ、顔が潰れた悲惨な姿になり果てていた。
二人はボロボロになった袋を一緒に持ち上げて、せーの、と呼吸を合わせると川に袋を投げる。
袋が川の流れに乗り遠ざかっていくのを、二人はじっと見つめていた。
やがて二人はゆっくりと向き合うと、口づけをするのだった。
「…吹石。」
静一は吹石の頬を両手で触れながら、真正面から見つめる。
「好きだ。僕の…そばにいて。」
静一の真っ直ぐな視線を受け止めて、微笑む吹石。
「ずっといるよ… ずっと。」
吹石は頬を触れている静一の手に触ってから、静一の頬に両手を添える。
「生きていこう。二人で。」
うっとりと眼を細める静一。
「生きていこう…」
感想
疑似的な母親殺し
この儀式は、母親という存在を観念的に殺したという解釈で良いのだろうか。
体操服の袋にお互いの母親の顔を描き、それを母親そのものに見立てて何度も石を叩きつける……。
疑似的とはいえ、母親を殺すという歪んだ行動に反して、最中の静一と吹石の高揚した姿が何とも悲しい。
途中差し挟まれた静子の苦しむ姿は静一が石を投げながら、実際に想像した光景だ。
母親が悲鳴を上げ、最終的には首や四肢が曲がってしまうような惨たらしい最期をはっきりと想像をしながらも、静一は石を叩きつけることを全く躊躇うことがなかった。
以前の静一なら途中で静子への恐怖や罪悪感に苛まれ止めていたことだろう。しかし直前の吹石との会話により、既に母親の呪縛から解放されていた静一には止める理由はなかった。
躊躇どころか、これまで散々静子に抑圧され、自身でも抑えつけてきた負のエネルギーの塊が解放できて、一気にハイになっているように見えた。
体操服の袋を川に投げた後、静一がごく自然に吹石に共に生きようと言えたことは、つまり母親の呪縛を完全に打ち払えたのだと思う。
静かだけど、力強さを感じる告白からは、間違いなく、以前のおどおどした静一にはないオーラが感じられた。
何より重要なのは、儀式そのものよりも、静一と吹石が互いに心を通じ合わせたことだと思う。
今回の儀式は、母親の呪縛を吹っ切って生きていくというきっかけに過ぎない。
それぞれが抱えていた行き場の無い想い、負のエネルギーを共有できた時点で二人は癒された。決して、疑似的に母親を殺してスッキリしただけではないと思う。
別に精神医学に全然詳しくないけど、これに近い療法がありそうだなと思った。
これを提案した吹石は何にヒントを得たのだろう。漫画? いや、深夜にやってる映画とかかな? 特に着想を得たものはなくて、単なる思い付きに過ぎないのかもしれない。しかし、だとすれば、それにしては母親に囚われたこれまでの生から脱皮し、新しい自分として生き始めるための儀式として機能していたように思う。
共通する母親への想い
自分の抱えていた想いを誰にも理解してもらえると思っていなかっただろうし、そもそも吐き出せる相手すらいなかったことに、二人は追い詰められていたのではないか。
静一が味わってきた夏以降の苦境は、これまで読者として、静一の視点から散々味わってきたからわかる。でも母親に捨てられたという認識に苛まれていた吹石もさぞかし辛かったことだろう。
そんな重い事情を相談できる相手を見つけることはかなり困難だ。打ち明ける相手を間違えたら、揶揄されていじめの対象になってしまうかもしれない。特に思春期の少女には死活問題だ。
そして前回、吹石はようやくそれを静一を相手にきっちりとした形で吐き出せたわけだ。
その際に彼女が淀みなく話せていたのは、もちろん静一に心を開いていたから、素直に飾らない自分の気持ちを言えたのだと思う。しかしそれ以上に、彼女が普段からそのことについて常に考えていた、つまり囚われていたということではないか。
第1話の時点で二人の仲が良かったのは、果たして偶然なのかと思う。
夏休み前の静一は、せいぜい静子の溺愛っぷりに少々嫌気がさしていた程度に見えた。しかし実は幼少期にひどい虐待をされ、それを完全に忘れていたという、既に心に大きな傷を負った状態だったわけだ。
吹石は賢く、鋭い子だ。既に母親に捨てられたという想いに囚われていた彼女は、そんな静一にどこか自分と共通する匂いを感じていたのかもしれない。
静一と吹石の表情が何とも晴れやかで精気に満ちているのは、母親に囚われることを辞めて、二人で寄り添って生きていくを決めたからだろう。
静一の吃音は、ここからぐっと頻度が減っていくはずだ。
ただ、吹石はともかく、静一はこのままこの群馬の地で生きていけるのか?
引っ越すことになって離れ離れになってしまったら……。
所詮、中学生は家族の中で何の決定権もなく、ただ親の決定に翻弄されるだけだもんな……。
以上、血の轍第82話のネタバレを含む感想と考察でした。
第83話に続きます。
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