第57話 訪問
第56話のおさらい
時間は経過して、12月になっていた。
理科室に向かう廊下を歩く静一を、小倉と比留間がふざけて突き飛ばし合う。
静一はそれに対し、怒ることも、笑うこともできず、やめるよう弱々しく懇願するだけだった。
そんな静一の虚ろな目が、近くを通りかかった吹石を捉える。
吹石は冷たい視線で静一を見返していた。
そしてすぐに目を伏せて、静一達の横を素通りしていく。
静一は、吹石に無視されたことを吹っ切るかのように、楽しそうな小倉たちのテンションに同調してやめるように呼びかけるのだった。
自宅に辿り着いた静一。
庭には、鉢や買い物のカートなどで散らかっていた。
玄関のドアを開くと、家の中はさらに散らかっている。
季節外れの扇風機や、プランター、ヒーターなどが無造作に置かれている。
玄関を上がり、居間の座椅子に座っている静子にただいま、と挨拶する静一。
居間は玄関よりもさらに散らかっていた。
そんな中、静子は座椅子に座ってぼうっと中空を眺めている。
静子は静一におかえり、と返すこともなく、伯母から電話があり、これからしげるの元に行くと告げる。
静一と静子はバスで伯母の家に向かっていた。
窓の外に視線を向けて、静子は深いため息をつと、どうして私達がわざわざ行かなきゃならないのか、しげるのリハビリ道具なのか、と愚痴を呟き続ける。
ほんとだね、やだいね、と静子の言い分に同調する静一。
そして静子の右手を握ろうとゆっくり手を伸ばすが、すぐに手を引っ込めて、頬を紅く染めて問いかける。
「…ママ…僕にできること…ある?」
窓の外を見続けていた静子は、静一の方を振り向くと、見下すような視線を向ける。
「できること? 静ちゃんに何ができるん? パパみたいな顔して。」
愕然とした表情になる静一。
静子はすぐに、窓の方に視線を向ける。
『県営住宅前』に停車するアナウンスが響く中、静一は俯いて何度も、パパみたいじゃない、と自らに言い聞かせるように呟いていた。
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第57話 訪問
到着
静子は「三石」と表札がかかった家のチャイムを鳴らす。
「あーわりぃんねー!」
玄関の扉を開けて家の中から出てきたのは伯母だった。
「よく来てくれたんねぇー!」
そして伯母は、ありがとね、静ちゃん、と言いながら静一の頭に手を乗せる。
静一が、チラ、と静子の方に横目を走らせると、静子は満面の笑顔だった。
「いいえー。とんでもないです!」
寒いから上がって、いう伯母に従い、二人は家の中に上がるのだった。
笑顔の静子
リビングのソファにしげるが座っている。
伯母はしげるに、静一と静子が来てくれたと声をかける。
中空を呆然と見つめているしげるに、笑みを湛えた静子が挨拶をする。
「しげちゃん。こんばんは。」
しげるの視線が静子を捉える。
「ほら、静ちゃんだよ!」
伯母に促されて、今度は静一に視線を合わせるしげる。
「……う…わかんない…」
「もう――! しげる――!」
伯母は楽しそうに、しげるに呼びかける。
「大丈夫よ。しげちゃん。」
しげるのそばにしゃがんで、静子が話しかける。
「はやく思い出してね。私達のこと。」
しげるは静子をじっと見つめたまま、何の反応もみせない。
伯母はおもむろに、今日病院に行ってリハビリをやってきたと話を切り出す。
左手の麻痺が良くなってきているようだという伯母の報告に、ほんとですかぁ! と喜んで見せる静子。
「入院してたときより良くなってるって。」
伯母はしげるを見つめながら話を続ける。
「ちゃんとリハビリしていけば、動かせるようになるかもって。」
「わー…よかったんねしげちゃん…」
口元に両手を当てて喜ぶ静子。
静一も笑顔でしげるを見つめる。
伯母はしげるの隣に腰を下ろすと、しげるも嬉しそうだから静ちゃん達が来てくれてありがたい、と静一、静子に感謝を述べる。
「だから…静ちゃん大丈夫だよ。安心してね。」
「まだボーッとしてるけど。静ちゃんのことわかってるから。」
「ぜったい…また前みたいに、たくさん遊ぼうね。」
「……あ…う…ん。」
静一は伯母からの笑顔で呼びかけにたどたどしく返事をしてから横目で静子の様子を観察する。
静子もまた静一を笑顔で見つめ返していた。
伯母はご飯の用意をするからしげるを少しだけ見ていてと言って台所へ向かう。
手伝い
「お義姉さん。」
伯母の背中に声をかける静子。
「手伝います私も。」
え? と伯母が振り向く。
「いいんいいん! 座ってて。」
「でも…悪いですから……」
静子は困ったように笑いながら伯母に食い下がる。
「手伝います。」
一瞬の間のあと、そうなん? と静子の手伝いを受け入れる伯母。
そして静一にしげると一緒にいてくれるかと問いかける。
静一は伯母を見つめながら無言で頷く。
伯母は静一に、話しかけることがリハビリになるからとしげるに話しかけるよう促すのだった。
台所に向かう伯母。その後に静子もついていくために振り返ろうとする。
完全に伯母の背中の方に振り返るその一瞬、静子は静一の方に無言で視線を走らせる。
そしてすぐに台所に消えていくのだった。
倒れる
伯母たちの作業が始まったのを台所から聞こえてくる。
台所の方に視線を向けて、静一はそこから聞こえる音にしばし集中していた。
「あ、お義姉さんそれやります。」
「いいから! これ持っちゃって!」
やがて静一はゆっくりとしげるに視線を移していく。
「あ でも…私そっちやります。」
台所から聞こえる話し声。
「大丈夫よ――あはは!」
しげるは相変わらずぼうっと何を見るともなく視線を中空に彷徨わせていたが、やがて目の前の静一に視線が移動する。
「でも…ごめんなさい なんかその…」
台所からの話し声は続く。
「……あ、あの…さ…」
しげるの真正面の床に正座していた静一は、困った様子でしげるから視線を外していた。
「なんだろう…話す…ことって…」
静一はしげるから視線を外したまま考える。
「……ここ、どこ?」
静一は思わぬしげるからの言葉に思わず、え? としげるの方に視線を向ける。
しげるは台所の方に視線を向けていた。
「かあさん…」
しげるはそう呟くと、おもむろにソファから立ち上がる。
そしてソファの背もたれに右手を置きつつ、台所に向かおうとする。
静一は正座したまましげるが動くのを呆然と見つめていた。
「しげ…ちゃん……どうしたん?」
左手をぶらん垂らしたまま、しげるが呟く。
「かあさん…どこ…?」
目を見開く静一。
しげるは台所に向かうおうと足を動かす。
しかしバランスを崩し、体が宙に踊る瞬間を、静一は見ていた。
しげるの身体が大きく傾き、地面に吸い寄せられるように倒れていく。
感想
しげる再び負傷か?
これ、しげるどうなっちゃうんだろう……。
左手は麻痺してるけど、起ち上って歩くことはできるらしい。
でもこの状態で、この勢いで床に転んだら、かなりまともにダメージを食らってしまう気が……。
ましてや片手が麻痺しているなら、頭が床に直撃するかもしれない。
最悪、また病院に行くことになる?
外傷だけならまだしも、また脳にダメージを受けるとしたら最悪だ。
そうなったら何が嫌かって、しげると一緒にリビングに残されていた静一のせいにされるかもしれないんだよなぁ。
伯母さんは静一に対して非常に優しい態度で接していた。
でもそれが一気に豹変して静一を猛然と非難するとか、そんなの目の当たりにしたらさぞ気分悪いだろうな……。
自らを強力に抑圧する静子
静子の演技力!
行きのバスの中で、静一に対して伯母の家に行かなくてはいけないことに散々文句を言っておきながら今回の伯母さんの前での良い嫁っぷり(笑)。
しかし、この静子の態度を見て、共感している女性は結構いそうだと思ってしまった。
少なくとも男性よりは女性の方が絶対に共感してるはずだ。
私もこうなる、辛い、という人はぜひ押見先生のすごさを感じて欲しい。
このリアルさ、生々しさこそ押見先生の魅力だと自分は思う。
自分の母を見てても、こういうところはあるもんなー。
小学生くらいの頃、今回の静子ほどではないにせよ、親類の家では態度が全然違うのを、子供心に「そういうものなのか」と妙に納得した記憶がある。
しかし静子はちょっと強迫的なところを感じる。
仮に今回の話だけを読んだ人だとそこまでピンとは来ないだろうけど、前回以前から読んでいる読者なら豹変ぶりに引くのではないか。
本当は内心嫌で嫌でしょうがないのに、いざ伯母の前ではここまで完璧に理想的な嫁を演じられる。
これ、相当無理に自分を追い込んでしまっているんじゃないかな。
静一が吹石家で汚してきたパンツを持って本人を問い詰めている異常な静子の様子と、今回の静子を見比べると伯母の前で自ら抑圧したエネルギーが静子の内で現在進行形でパンパンに膨れ上がっていっているように感じてしまう。
目の前で今にも破裂しそうなくらい膨らんでいく風船を前にしているのと同じ。
いつ派手な音を立てて割れてしまうのか。マジで怖い。
そしてこれが、静子がおかしくなった原因の一つでもあるんじゃないかと思った。
伯母の家に行きたくないなら何とでも理由をつけて行かないようにしたら良い。
静一はもう中学生なんだから、静一だけバスで行かせるわけにはいかないのか。
静子には自分にとって快適な他人との距離を保つことが極端にニガテなのか。
というより、そもそもそういう発想自体がない気がする。
しげるの記憶回復に期待
そっちの方が面白いし、そもそも静子もそれを望んでるように思う。
「…しげ……ちゃんが……思い出してくれないんだったら……わたし…わた……し………」
「私……どうやったら出ていけるん?」
「やっと……出ていけるって……思ったのに…」
しげるの入院している病院からの帰路、立ち寄ったうどん屋での静子の様子から、彼女はしげるに告発されることで、自分の生活も何もかも終わらせたかったと読み取れる。
自分は、静子が現在の生活に疲れ切ってしまった末の発言という印象を受けた。
今回静子は、伯母を手伝うために台所についていった。
その際、静一に行った目配せが印象的だった。
それはまるで、『わかってんな?』という静子から静一へのメッセージに見える。
もちろんその内容は「きちんとしげるのリハビリの相手をして、一刻も早く記憶を戻せ」だ。
静一なら静子の意図を汲み、その通りにすることだろう。
少し前の静一なら、しげる本人のためにしげるの相手をしたことだろう。
でも今は、しげるの相手をするのは、しげるの記憶回復により自分の生活を終わらせたいという願望を持つ静子のためでもある。
静一が最も可哀そうなのは、静子がおかしいと思うことを止めてしまったことだろう。
吹石と付き合っていた頃は静子の異常性に恐怖できていた。
しかし今は完全に静子に取り込まれている。この状態から自分を取り戻すのはきっと至難の業だ。
あの夜以来、静子にとって静一は愛玩動物のようなものだ。
もっと本質的な表現をすれば、自分の所有物か。
静一は静子から赦しを得た夜、静子の意に沿って生きる事を強く決意した。
実際、静一はあれだけ心を通わせていたはずの吹石を手ひどく振ってしまう。
そう考えてみると、静一はもはやマザコンの域を超えている。
自分が何を考えているかなんて後回し。すべては静子が優先。
心の自由なんて全くない。これは奴隷状態だと思う……。
今回のラストでしげるが転んでしまったことで、また静一の置かれた閉塞的な状況が変わるきっかけになるのか。
次回が楽しみ。
以上、血の轍第57話のネタバレを含む感想と考察でした。
第58話に続きます。
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