第49話 報せ
第48話のおさらい
雨の降る中、玄関から締め出されていた静一は涙ながらに静子に自分は吹石ではなく静子を選んだから戻って来たのだと訴える。
涙ながら玄関の内側にいる静子に謝罪を続ける静一。
どれだけ自分が静子の心をないがしろにしたか、自分を卑下しつづ、必死に言葉を絞り出して静子に許しを請う。
しかし玄関ドアの内側、静子からの反応はない。
静一は土下座のような格好をして、涙を流し謝罪し続けていた。
親戚一同のみならず、父のことも嫌いだという静子の辛い気持ちをわかっていなかった反省を繰り返す。
静一は完全に土下座して、静子への服従を示す。
「僕も…嫌いになるから…! 吹石も…嫌いになるから…!」
「だから…許して…!」
静一の我が身を顧みぬ必死の訴えを静子は玄関ドアの内側から聞き届けていた。
「嫌いになる? さいしょっから嫌いだったんだいね?」
静一は待ちわびていた静子の声を聞いて、思わず頭を上げて玄関ドアを見つめる。
「…最初…っから…だった…そうだった……」
これから吹石とはどうするのか、と静子からドアの内側から問われた静一は、もう近寄らないことを宣言する。
「僕が…いやだから。嫌いだから。」
その宣誓を受けて、静子はドアを僅かに開く。
ドアの僅かな隙間からは静子の冷たい眼が静一を観察していた。
しかし静一は待ち望んでいた静子からの救いを前に、ただただ静子をぼうっと見続ける。
ドア越しに、視線を合わせる二人だったが、静子がゆっくりと小指を立てた右手を玄関ドアの隙間から静一の方に伸ばしていく。
小指の立った状態の静子の手を見て、静一もまた右手の小指を立て、静子の小指に絡ませていく。
指切りをした後、言葉もなく静子のことを見上げていた静一に、静子が声をかける。
「やくそく。」
無表情で静一を凝視する静子。
「絶対だよ。」
そして、二人は絡めていた小指を離していく。
静一は静子の右手中指の爪が割れて出血で赤く染まっているのに気づくと、神聖なものに触れるような手つきで静子の右手を両手でそっと掴み、赤く染まっている中指の爪にキスをする。
静子の、絶対だよ、という言葉に対して、はい、と答えながら、静一は角度を何度も変えて静子の右手中指の爪にキスを繰り返す。
静一はさきほどまで取り乱していたのがウソのように落ち着き、うっとりと目を細めていた。
半開きだった玄関ドアを全開にする静子。
その瞬間、一気に外に漏れ出た室内光が、静子を照らす後光のようになって静一の目に飛び込んでいく。
その頃、意識不明だったしげるは暗い病室のベッドの上で意識を取り戻していた。
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第49話 報せ
赦し
閉ざされていた扉が開く。
静一は静子の手を両手で持ったまま、彼女を見上げていた。
室内灯に照らされた静子は無表情で静一を見下ろしている。
「おいで。」
静一は静子をじっと見上げていた。
二人の視線が重なる。
静一は静子の手を放した両手を小刻みに震わせる。
ドアが閉じると同時に、静一は静子に抱きしめられていた。
胸に顔を埋めていた静一は、視線を静子の顔に向ける。
静子は微笑んでいた。
静一も静子に倣い、そっくりに微笑んで見せる。
静子は、むに、と静一の頬に人差し指で押す。
「このお~~。うふふ。」
静子の笑顔に徐々に熱が戻っていく。
「つんつん。」
静子は上機嫌で静一といちゃついていた。
「ふふふっ。」
ふふっ、と笑う静子に同調するように、静一もまた、へへっ、と笑う。
「なあに? うふふふふっ。」
「へへ。へへへっ。」
二人が至福の時を過ごしているのと同時に、雨の中を長部家に向かう人影があった。
砂利を蹴り上げてひた走るその人物は、家の玄関ドアを勢いよく開ける。
静一が開いたドアの方を振り返ると、そこにいたのは一郎だった。
報告
「はあ はあ え…?」
一郎はなぜ静子と静一が玄関に座って向き合っているのか、状況の把握しようとして一瞬戸惑うも、すぐに本来自分が報告すべきことを思い出す。
「あ…しっ」
安堵の笑顔を浮かべる一郎。
「しげちゃんが…意識…戻ったって…!」
一郎は伯母から連絡があったこと、そしてしげるは彼女の目を見てはっきりと反応したことを報告する。
「良かったいなあ!」
ぼうっと一郎を見つめていた静一は、ゆっくりと静子の顔に視線を移していく。
静子は呆然としていた。
そこには何の感情もない。
しかしすぐに歯を剥き、目を細めて、まるで貼り付けたような笑顔を作る。
静一も、静子の表情に同調するように笑顔を浮かべる。
「本当に良かった…」
心底ほっとした様子で一郎が呟く。
「あれから…あの山登りんときから、おかしくなっちゃったいな…みんな。」
「でも…もう大丈夫だ。」
「明日みんなで病院行ぐんべ。」
「なあママ?」
静一は笑顔を浮かべたまま静子の言葉を待っていた。
「…うん。」
微笑を浮かべて、一郎に答える静子。
「行きましょ。」
「ね。静ちゃん。」
静一は静子の表情の変化を敏感に感じ取っていた。
「…うん。」
その顔から笑顔はほぼ消えている。
静一の背後から一郎がそっと両手を伸ばす。
間に静一を挟むようにして、静子の背中にそっと手を添える。
「ハハ…良かった…」
嬉しそうな表情で呟く一郎。
静子は、今度は自然な笑みを浮かべていた。
「ハハハ…」
玄関に一郎の笑い声だけが響いている。
静一は静子の胸に顔を埋めたまま、背後から一郎に抱きしめられていた。
感想
お見舞い
めでたしめでたし?
静子と静一は仲直りしたし、しげるは意識を取り戻した。
……実際、今回の話だけを読めばそんな感じの終わり方だと思う。
でもこれはさらなる地獄の始まりなんだよなぁ……。
ただでさえ不安定な母子なのに、これで静子の犯罪が発覚したらいよいよ長部家の日常は完全に崩壊してしまう。
長部家は全く別の場所へ引っ越さないといけないだろう。
祖父母や伯母夫婦もそうなるかもしれない。
しげるの事故が、実は事故ではないことを知らない一郎からすれば、山登りの日を境におかしくなった全てがようやく元に戻るのでは、という期待があるんだろうな。
実は長部家にとって、静子の豹変や静一の吃音など目じゃないくらいに、もっと恐ろしい事態に突入しようとしているのに……。
そうか……。静子と静一を連れて、意識を取り戻したしげるのお見舞いに行っちゃうのか……。
恐ろしいことをサラッと提案してしまう。
知らないということが一体どれほど恐ろしいことかわかる(笑)。
どうやら、しげるはきちんと反応を示すことが出来るようだ。
つまりあの日、静子に突き落とされた記憶があるなら、彼女を告発することも可能だろう。
言葉を発することができなくても、静子を見て明らかにしげるの様子が変わったなら、それを端緒に事の次第が明らかになっていくのではないかと思う。
読者からしたら前回、しげるが目を覚ましたことは驚きだったし、しげると静子が対面したなら一体どうなるのか期待したことだろう。
それが作中で翌日実現するのか。
一郎さん、グッジョブだな。
意識が戻るかどうかわからない親戚が数か月ぶりに回復したなんて大ニュースだから、距離や時間的に可能であれば当日、もしくは翌日には様子を見に行くわな。
だから一郎の提案は別に普通のことであり、自然だと思う。
ただ個人的には、しげるが意識を取り戻した報せを聞いた静子が、日常生活をどういう様子で送るのかをしばらく見てみたかったかな。
静子はしげるが自分を告発するのではないかという不安のあまり精神のバランスを崩すのか、それとも不安を感じていることなど全く感じさせないのか。
でも、翌日対面する方がはるかに面白そうだわ。
一郎から、静子にとっては凶報という他ない報せを受け取ったにも関わらず、彼女は全くそんなことを感じている様子は見せていない。
それどころか親戚の子供の回復を喜ぶ自分を見事に演じている。
嘘っぽい笑顔の裏で、一体何を考えているのか。
止めを刺そうとしてるのかな……。だとしたら怖すぎる。
静子がしげるを突き落としたのは魔が差してしまったからであり、そこに計画性はないと自分は思っている。
でも突き落とされたことをしげるに告発されたら自分の人生がめちゃくちゃになるのは間違いない。
だからそれを防ぐために、今度は明確な殺意をもって、しげるの告発を止めようとしている可能性はあると思う。
しげるが回復したことを喜んでいる静子が浮かべているのは明らかに嘘っぽい、貼り付けたような笑顔だ。
でもそのあと、しげるの病室へ行くことを決めた静子の表情はどこか諦めているように見えないこともない。
これは、しげるの容態次第では自首も考えていたりするのかな……。
果たして静子は何を考えているのか。
それが次、もしくはその次くらいの回で実現するであろう、お見舞いでわかる。
めちゃくちゃ楽しみだわ~。
後光
静子に対して必死に許しを請い、それが受け入れられたことに静一は至福感を覚えているように見える。
母に見放されたら自分は生きていけないと、静一ではなくても中学生くらいの子供だったら思うんじゃないかな。
命がけの謝罪が実り、ドアを開けた静子の表情が神か仏のように見えた。
光の使い方が神々しさを演出しているというか……。
ドアから静一に向けて漏れた光は、まるで静子を背後から照らす後光のようだったと前回の感想で書いたと思う。
実際、静一にとっては静子が仏か神か、もしくは聖母のように見えているに違いない。
静子に抱き締められる前の震える手の表現が本当に上手いと思うし、それだけに何とも痛ましくも感じた。
このくらいの子供は反抗期であろうとも、結局は親に支配されるだけなんだよなぁ、と思ってしまって……。
親がごく普通の人ならいいんだけど、静子みたいなヤバめの人であっても軍門に下らなければならないのは悲劇だと思う。
自分も、やはり中学くらいの時は、親に突き放されたら静一までとはいかないけど、許しを請うだろうな。
静一が泣いて許しを請うのは、マザコンだからとかそういう小さい話ではない。
静一は静子に許されたことを感謝し、静子に忠誠を誓った。
この状態では、しげるが静子を告発したとしても、静一はしげるの告発を決して認めないだろう。
それどころかしげるに激怒してみせるのではないか。
前日に静子に対して反抗していた時の静一であれば、しげるの証言を認めて静子に罪を償わせようとしたかもしれない。
でも静一の静子への忠誠心が最高に高まっている今となっては、それは叶わないだろう。
長部家の抱える爆弾は膨れ上がっていく。
しげるは静子に落とされたと訴えるが、現場にいた静子も静一もそれを認めず、あくまでしげるが一人で落ちた事故だったと主張する。
そうなったら、いよいよこの話はどうなってしまうのか。
泥沼もいいとこだ。
もともと静一や静子が幸せになる絵が全く見えない話だったけど、ここからさらに禍々しさを増していく気がしてならない。
果たしてお見舞いで何が起こるのか。
以上、血の轍第49話のネタバレを含む感想と考察でした。
第50話に続きます。
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