第95話 雪の現場
第94話のおさらい
静一が玄関のドアの鍵を開けると、そこには二人の刑事が立っていた。
その内一人は以前静一から事情聴取した刑事だった。
刑事は静一に、今は家に一人かと問いかけながら、玄関に脱ぎ捨ててある、ぐしょぐしょに濡れた長靴を見ていた。
静一は淡々と、おそらくは父は仕事で家にいないこと、そして自分がまだ起きたばかりであると説明する。
聞きたいことがあるからと家に上がった刑事と、静一は居間でテーブルを挟んで向かい合う。
刑事はしげる君がいなくなったとしげるの母から通報があったことを説明し、玄関の長靴が濡れていたことを挙げて、いつ外へ出たのかと問いかける。
沈黙の後、わからない、と静一。
それに対して刑事は、さきほど静一が今起きたと言ったことに突っ込む。
「寝る前に外に出たん? どうして?」
そして、もう一人の刑事が、静一の部屋から持ってきた、濡れたジャケットを手にして居間の入り口に現れる。
「このジャケットも濡れているけど、これだけ濡れてるんなら長い時間外にいたんかな?」
静一は観念したように笑みを浮かべる。
そして、夢の中で外に出たと独り言のように呟く。
それは夢じゃない、と刑事。
「現実だよ。」
刑事の言葉を受け、静一は夢から覚めたように目を見開く。
刑事は外に二人分の足跡があったことを指摘し、しげると会ったのかと問う。
「……夢じゃない……。夢じゃ……ないなら……僕は本当に…おかしくなっちゃったんだな……」
刑事はそう呟き始めた静一の様子を前に言葉を失う。
僕がやったんです、と自白する静一に刑事は、何をやったと話の先を促す。
静一は夜中に外に出たらしげるが来たこと、そして二人で高台に行ったと淡々と話し続ける。
静一は話し続けながら、今自分がどんな顔しているのかを気にしていた。
(ママみたいな顔 してるんかな)
刑事は息を呑んで静一を見つめる。
「そこで、僕は、しげちゃんを、崖から突き落としたんさ。」
がっくりと俯く刑事。
静一はずっと微笑を浮かべていた。
刑事は、わかった、と言って顔を起こすと、静一を見据える。
「一緒に現場へ、来てくれるね。」
静一は終始落ち着き払っていた。
心の中で、本当はママもこんなふうに言いたかっのかと、静子のことを理解できた喜びを感じていた。
(ママ ちゃんと言えたよ 僕)
「うん。」
第94話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。第95話 雪の現場
現場へ
静一はけたたましくサイレンを鳴らすパトカーの後部座席に両脇を刑事に挟まれて乗車し、事件現場である高台に向かっていた。
現場に到着し、静一に降りるよう促す刑事。
現場の高台ではすでに多くの警官が捜索を行っていた。
刑事は事前に静一に書かせた図面を片手に、しげるを突き落とした現場へ静一を連れて登っていく。
静一がしげるを突き落とした辺りの柵周辺にも、しげるを捜索している警官の姿がある。
しげるを突き落としたのはどこなのかと刑事に訊ねられ、静一は無言で柵の前に歩き出す。
「このあたり…だと思う」
静一君、と別の刑事が毛糸の帽子が入った透明な袋を掲げる。
「この帽子がここに落ちていた。見覚えある?」
「………ああ…」
ぼんやりと帽子を見つめていた静一は右手で頭に触れる。
「僕のだ……」
その表情は常に微笑を浮かべている。
刑事が訊ねる。
「……しげる君は、どのあたりまで落ちたん?」
静一は微笑を貼り付けたまま柵の外を指さす。
「ずっと…あの…下の方まで落ちた。」
「……下だ!! 行くぞ!!」
刑事が周辺の警官たちに指示する。
発見
「しげるくーん!!」
「しげるくーん!!」
警官たちがスコップを片手に周辺一帯を捜索している。
スコップを地面に突き立てている様子をぼんやりと見つめている静一に刑事が話しかける。
「静一君。落ちたんはどのあたり!?」
静一は何も答えず、ぼうっと虚ろな目で空を飛ぶ鳥を見ていた。
「静一君 おい! どうしたん!?」
微笑を浮かべて空を見上げている静一に刑事が話しかける。
「静一君。」
「あっ」
地面に膝を着き、積もった雪を手でかきわけて捜索していた警官の一人が声を上げる。
「発見しました!!」
周囲の警官たちが、しげるを発見した警官の元に駆け寄っていく。
その中心には雪に右半身が埋もれたしげるの姿があった。
静一にはそのしげるの姿が、目を開いたまま横たわっている猫の死骸と重なって見えていた。
雪から顔全体が掘り起こされる。
しげるは目を開き、両腕を前に突き出したまま硬直していた。
身体の右側面を地面につけた状態で、静一をじっと見つめている。
「………ああ…」
その光景を見つめながら静一が呟く。
「ねこさんだ……」
慌ただしくなる現場。
静一は特に取り乱した様子もなく、その光景を見ていた。
そんな静一の右腕を掴んだのは刑事だった。
刑事は表情を強張らせ、静一に向って何かを叫んでいる。
静一は虚ろな目で、警官たちがしげるを担架に乗せるのを眺めていた。
刑事たちに連れられてその場を後にしようとしていた静一がしげるに向けて呟く。
「ねこさん ばいばい」
感想
最悪の展開
雪に埋もれ、目を開いたまま硬直した状態で発見されたしげる……。
これはもう完全に死んでいる。
生気の失われた目。そして固まった両腕から死後硬直の様子が見て取れる。
元々、生きている可能性の方が低いと思っていたので、完全に予想の範囲内であるはずなのに、このショックはなんだろう……。
ショックの大きさだけで言えば、夏の事件後に静一が一郎としげるの見舞いに行った際の、ベッドの上で虚ろな状態のしげるが登場した時の方が大きいんだけどな……。
この常時不穏な空気が漂う漫画における、初めての死者だからなのかもしれない。
ただただリアル。伯母夫婦の、そして一郎の悲しみは計り知れないだろう。
伯母と一郎に関しては自死しても不思議ではない。
早くも次回の話を読むのが怖い。
恐ろしいことに、今の壊れた静一の様子だと、たとえ一郎が自ら命を絶ったとしても感情を揺らさないような気がする……。
今の静一は静子と同じ状態であることに安堵すらしているように見える。そもそも捕まる前から静子は一郎を完全に見放していた。そんな態度を静一の前で隠そうとするどころかエスカレートさせていったので、静一もそれに倣っていたように見えた。だから静一は静子が捕まった後も、一郎に対して特に何の感情を抱いていないのではないか。
完全に壊れてしまった静一に救いはないのだろうか……。
静一の今後は……?
遺体が発見された直後、刑事は静一の腕を掴んで何と叫んだのか。
刑事からすれば静子の事件で静一を事情聴取したことで、この不憫な身の上となった少年を気の毒に感じていたはずだ。そんな静一と関わってから間もなく、まさか彼が母以上の惨劇を、しかも同一の被害者に対して引き起こそうなどとは夢にも思わなかっただろう。
刑事が、ひょっとしたら自分の静一との関わり方次第では、この事件自体が無かったのではないかと一瞬でも思わずにいられるだろうか。
冷静に考えればこんな事件を事前に防ぐなど無理だとわかるんだけど、何かしら出来たんじゃないかという後悔は生涯残り続けるのではないか。
読者からすれば、静一が何かをやりそうな兆候は感じ取れていた。
学校で小倉たちからの酷い扱いにキレて小倉を容赦なく殴打したり、静子と一緒に訪ねた伯母の家で激昂して伯母を突き飛ばしたり……。
少なくとも夏の事件以前には、静一には一切暴力の兆候は見られなかったのに……。
それが徐々に変わって来たのは、静子を守るために、静子の犯行を黙っていなくてはならないと自ら重い十字架を背負って以降だ。
大きな精神的負荷に晒され、心のバランスを失う。心のバランスを大きく欠く度に、周囲との関係が壊れていく。
それを積み重ねていくにつれて、着実に正気は失われていった。
とりわけ大きかったのは、一時期は静子に反発しようとしたものの、逆に完全に屈服させられ、静子に従属するに至ったこと。
幼少期の自分が静子により高台から投げ落とされていたことを思い出し、自分の存在意義を疑ったこと。
そして自分の全てであったはずの静子が捕まったことで、心の支えを失ったこと。
これらが静一をここまで追い詰めた大きな要因であるような気がする……。
静子が捕まり、静一は一時期はすっきりとした表情すら見せていた。吹石と一緒に母に見立てた体操着の入った袋を”殺した”り、吹石と一緒に生きていくと約束したものの、それらがもたらした救いや解放感は一時的なものに過ぎなかったらしい。
究極のマザコンとして染まり切っていた静一には、静子が捕まっても、彼女の声が幻聴として聞こえるようになっていた。
そして静一が最終的に望み、選んだのは、そんな静子と同じになることだったということなのか……。
幼い頃静子と共に見た猫の死骸をしげるの遺体に重ねる静一。静一が呟いたセリフから、幼児退行しているように見える。心が壊れてしまった静一にこの先どんな未来があるのだろう。
このままバッドエンドで終了なのか?
この漫画が始まった時から胸のすくような展開など望めないことはひしひしと伝わってきていた。何かしらの救いがあるといいなと思っていたけど、殺人者となってしまった今では、何も言うことが出来ない……。
静一が捕まり、果たして次回以降の展開がどうなるのか。
いきなり数年後とかになっていてもおかしくないし、静一が捕まったあとの描写が丹念に続くのかもしれない。
色々な意味で注目したい。
以上、血の轍第95話のネタバレを含む感想と考察でした。
第96話に続きます。
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