第80話 一緒
第79話のおさらい
幼い頃、静子に高台から落とされた記憶を思い出した静一は、静子のことが世界で一番嫌いだと自覚するようになっていた。
1月3日。
弁護士は一郎に、明確な証拠がないので、静子の犯行の裏付け捜査のために必要な時間稼ぎを目的に警察が静子を精神鑑定に送ることを説明していた。
そのやりとりを部屋のすぐ外で立ち聞きしていた静一は、静子は供述している動機についても耳を澄ませる。
「しげるが静一に見えたから落とした」という、静一にだけ理解できる動機にショックを受ける静一。
1月7日。
学校に辿り着いた静一が教室に入っていくと、クラスメートの好奇の視線が静一に集中する。
第80話 一緒
針の筵
自分の席に着く静一。
静一は、クラスメートたちのざわめきの大半が自分や母親の事についてであることに気付いていた。
吹石は静一にどこか哀れみを感じさせるような視線を送る。
静一の席に、いつもの二人を伴って、ニヤついた小倉がやってくる。
新聞に静一の母親が載っていたと切り出す小倉。
「マジで甥っ子殺したん?」
殺してはいないんじゃないかと訂正され、そーだっけ? としらばっくれる小倉。
「おい。よく学校来れんな。」
小倉は静一の机に身を乗り出す。
「母親が人殺ししといて。」
静子と面識がある小倉は、マジでヤバかったと言って、おどけた調子で静子の真似を始める。
「吹石さんを!! 静ちゃんと別のクラスにして!!」
クラスメートたちの視線が静一たちに集中する。
吹石は自分の席から動かず、黙ったまま俯いていた。
「おまえが言ってやれよ」
吹石に呼びかける小倉。
「学校来んなって!」
小倉は吹石に、あの母親にひどい目に遭わされたんじゃねぇん? とニヤニヤしながら続ける。
「殺されなくてよかったんな!!」
「ほら――静ちゃんに言ってやれよ!! 静ちゃんなんか大っきら――い!!」
「きも~い!!」
俯いたまま、微動だにしない吹石。
我慢しきれなくなった静一が勢いよく立ち上がる。
「…おっ、なんだよ?」
薄笑いを浮かべる小倉。
吹石は静一を心配そうに見つめていた。
「また殴んのか? こわっ!!」
小倉が挑発をエスカレートさせる。
「やっぱ息子もおかしいな!! 殺される~!!」
静一は小倉をじっと正面から見据えていた。
おもむろに鞄と上着を手に取ると、スタスタと教室の外へ向かう。
「逃げた!」
勝ち誇る小倉たち。
「バイバーイ。もう来んなよー!!」
呼び止める
「長部!!」
静一は驚いたような表情で振り返る。
校門を出ようとした静一を呼び止めたのは吹石だった。
少し離れたところに立ち静一を見つめる吹石。
彼女もまた、静一と同じように、自分の荷物を持って外に出ていた。
静一は吹石から視線を逸らす様に前を向く。
「……ごっ、ごめっん……僕のせいで…」
僕もう学校来ないから、と吃音で途切れ途切れになりながら伝えて校門の外に歩こうとする静一。
「長部待って!」
吹石は再び静一を呼び止めて、ごめんね、私こそ、と切り出す。
「長部のこと…わかってあげられなくて。」
「こんなところ出よう。一緒に。」
静一は吹石の方を振り返り立ち止まっていた。
静一の元に吹石が近づいていく。
告白
二人は河原に来ていた。
川の流れを見つめるように、並んで岩の上に座っている。
どうして? と切り出す静一。
「どうして僕と……い、一緒にいてくれるの……?」
「い、い、い、一緒に…いても……ふ、ふ、ふ、吹石っに…め、め、め、迷惑がかかる……」
川の方を向いたまま続ける。
「そ、そ、それ…に、…う……吹石っ……は…もう…」
「新しい…好きな…人が……い、いるんじゃねぇん…?」
静一は返答を促すように、ようやく隣に座っている吹石に視線を送る。
既に静一を見つめていた吹石と一瞬視線が重なり合う。
吹石はすぐに目を伏せて、話し始める。
「長部…私ね……私はね…五歳のとき、お母さんが出てったん。私を置いて。」
「私なんかより自分が……どっかの男が大切だったんだと思う。」
静一は吹石をじっと見つめて話を聞いていた。
「だからね…」
静一に視線を送る吹石。
「私は君を、置いてきたくないんさ。」
静一はわずかに頬を赤らめて、吹石を見つめていた。
「私……君のそばにいちゃだめ?」
吹石もまた顔を赤らめて、静一に問いかける。
感想
手を差し伸べる吹石
静子の犯行はおそらくは地域全体に知られている。
しかし、完全に孤立状態になってしまったかと思われた静一に、思わぬ形で救いの手が差し伸べられた。ほっとしたと同時に、静一が羨まし過ぎる。
幼い頃に受けた静子からの非道な仕打ちを思い出し、盲目的に静子を守らなければと思っていた状態から目が覚めたとはいえ、静一は、ほぼ一人で暗いトンネルの中を歩き続けるような状態だった。
しかしそこに、自分が拒絶したことで完全に関係が終わったはずの吹石が寄り添おうとしてくれている。
そもそも以前から精神的に追い詰められ続けてきた静一に味方する人間は、一郎と静子の犯行を知る前の叔母を除けば吹石くらいしかいなかったが、ここに来てまさか吹石が再び静一に手を差し伸べるとは思わなかった。
吹石の想いの複雑さ
静一に振られたところをすかさずアタックしてきた男とくっついたかと思ったらどうやら違ったらしい。
そういえば振られたあとも吹石は浮かない顔をしていた。完全に静一を吹っ切って新しい恋人と青春の謳歌できているならそれなりの表情になっていてもおかしくはなかった。
静一からあんなに酷い振られ方をしても尚、吹石の静一に対する想いは燻り続けていたんだな……。
夏休み明けに吃音が激しくなった静一のことを気にかけ、さらにその原因が母親によるものではないかと直観できるほどに静一について理解していた吹石には以前からその想いの深さ、真剣さに感心していた。
けど、吹石には悪いけど、単に思い込みが激しいだけではないかとも思っていた……。
実際、今回の話で、吹石は自身の静一に対する情の深さの源泉とも言える理由の一端を吐露したのはある意味ではそういう側面も感じる。
かつて幼い自分を置いて他の男の元に走った母とは違い、静一を置いていきたくはなかった、という気持ちは静一に向けられているようで、実は自分に向いているとも言えるだろう。
そんな吹石の気持ちを知り、自分は彼女がただ単に静一のことが好きというわけではなかったというところに妙に得心したような気持ちになった。
静一が好きという執着にも似た想いは吹石の心の傷に根差したものでもあったわけだ。
以前から親しかった静一に夏休み明けに異変が起こった。そんな静一を他のクラスメートの様に忌避するのではなく、積極的に関わり、救うことで、自分も救われようとしていたのかなと思った。
ただただ純粋に相手に事が好きという想いだけでは、好きな相手から手酷く振られた時点でその気持ちは終わってもおかしくない。しかしただ好きという以外に静一に関わる理由があるならその気持ちは簡単には吹っ切れるものではないことに納得できる。
静一の方からSOSを出したところで、吹石に今回告白したような気持ちが無かったら、このような展開はあり得ない。
この期に及んで吹石から差し伸べられた手を難癖付けて拒否するようなら、静一の人生に光は差さないだろう。静一が吹石の想いに応えることは、自分のみならず吹石のことも救うだろう。果たして静一がそれに気づけるかどうかだ。
静一から感じる不安
静子による事件が起こる前から静一と吹石は互いに親しかった。
その頃から吹石は静一に対して、かつての自分のように置いていくような真似をしたくないと思っていたわけではないだろう。
おそらく吹石がそういう気持ちで静一と接するようになるのは、夏休み明けからだ。
静一が静子の事件で心に大きな傷を抱えて以降、それを感じ取った吹石が静一に深く入れ込んでいったのだと思う。
しかし静子のせいだとは言え、あれほどまでに静一が手酷く拒絶したはずの吹石と、まさかの関係の再構築の機会が来るとは思わなかった。
吹石の静一に対する想いがただ単純な好意に依らず、吹石自身の寂しい生い立ちに根差した複雑なものだったからこそ静一はチャンスを得たわけだ。
邪魔者である静子はいない。今の静一は物理的にも、そして精神的にも静子と離れている。
まさかこの状況で吹石を拒絶はできないだろうけど、まさかここで静子の呪いにも似た愛情が静一に馬鹿な真似をさせないとも限らないわけで……。
それに吹石との関係が復活しても、もはや群馬にいられないのではないか。吹石と物理的に離れてしまうとすれば、さすがの吹石でも静一への想いを維持することは難しいように思う。
ちょっと考えただけでも、静一の今後があまりにも暗いように思える。やはりどこまでいっても精神的にきつい漫画だと思う……。
果たして静一は吹石の想いにどう応えるのか。次回が楽しみ過ぎる。
以上、血の轍第80話のネタバレを含む感想と考察でした。
第81話に続きます。
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