第22話 夜の始まり
目次
第21話のおさらい
静一は一郎の運転する車に乗り、しげるの入院している病院へと到着する。
5階にエレベーターで上がる二人。
一郎は静一に、しげるの様子を見て驚くかもしれないがきちんとお見舞いしようと前置きし、しげるのいる509号室へと入る。
一郎、そして静一のお見舞いを伯母は笑顔で迎える。
一郎がカーテンを越えてしげるの顔を見ながら挨拶をする。
それに続く静一は、しげるを見て硬直する。
しげるは鼻からチューブを出し、左右に散った瞳はどろんと濁り、口をぽかんと開けた表情で固まっている。
しげるの右手を両手で大切そうに持ちながら、伯母はしげるに静一が来たよと語り掛ける。
しげるの様子を見て一郎は、この間よりも顔色が良くなったと声をかけ、伯母は嬉しそうにそれに同意する。
名前を呼ぶとたまに首をかしげる気がするから聞こえてるんだと思う、と続ける。
伯母は上機嫌で静一にお菓子を箱ごと渡す。
ほぼ放心状態で両手でそれを丁寧に受け取る静一。
伯母は、もう学校が始まったのかと軽く問いかける。
静一はお菓子の箱を持ったまま、一瞬の間の後、中々出ない声を必死で絞り出すようにしてやっと、うん、と答える。
その様子に、どうしたん? と優しく笑いかける伯母。
一郎が、最近なったんだけど大したことは無いと説明する。
伯母の顔から笑みが消える。
静一はまだお菓子の箱を持ったままの姿勢で懸命に声を出す。
ごめんなさい、と言い、その後も色々と続けようとする静一の言葉を遮るように、伯母は、大丈夫じゃないがね! と少し前に適当な説明をした一郎を一喝する。
そして静一の顔を神妙な表情で見つめて、静ちゃんごめんね、と謝罪し始める。
しげるのことで、静一にも辛い思いをさせたと静一の頭を撫でる。
またしげるが回復したら、また一緒に遊んでくれるかい? と静一に優しく笑いかける伯母。
静一は伯母の目を真っ直ぐ見つめながら大粒の涙をこぼす。
そして堰を切ったように泣き出す静一を優しく抱き寄せる。
静一の事をしっかり見てやれ、と伯母に注意されて、ばつが悪そうに、うん、とだけ返事を返す一郎。
そして泣き止んだ静一に対して伯母は、静子に私は何も気にしてない、ごめんなさいと伝えてと言い含めるのだった。
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第22話 夜の始まり
別れ際
しげるの入院している病室。
伯母さんと同様に、静一と一郎はベッドの傍らの椅子に腰かけている。
そろそろ帰ると一郎が切り出し、伯母は静一にお菓子を持っていけと紙袋を渡す。
わりぃんな姉ちゃん、と礼を言う一郎。
「本当にありがとね。来てくれて。」
伯母は静一に柔和な笑顔を向ける。
静一は膝の上にお菓子の入った紙袋を置いたままベッドの上を見るともなく見ている。
一郎はそんな静一に、帰る前にしげるに話しかけてやるんべ、と促す。
静一は一郎を一瞥する。
しげるの足元側に立った一郎と静一。
「しげる。」
一郎がしげるに話しかける。
「また来るからな。」
静一は、一郎の言葉に何の反応も示さないしげるをじっと見つめる。
伯母は静一の背後から、手を握ってあげて、と声をかける。
静一はその言葉に促されるままに、だらんと力なくお腹の上に置かれたしげるの手に、ゆっくりと手を伸ばしていく。
手を握ると、静一の脳裏に、山に登ったあの夏の日、崖の渕で静子にしげるが突き落とされた瞬間が蘇る。
蝶が乱れ飛ぶ。
崖から落下するまさにその瞬間、しげるは呆気にとられたような表情を浮かべて静子に向けて精一杯手を伸ばしていた。
夏のあの日までは普通に生きていたしげるは、今はベッドの上で意識も無く横たわっている。
伯母は、そんなしげると、手を繋いでいる従兄弟――静一を慈愛に満ちた表情で見つめる。
しげるの手を握り、静一が声をかける。
「……しっ…しっ………しっ…しげちゃん…」
「はっはっはっはっはっ、はやっく…よっく…なって…」
「まっまっまっまっ…まっ また………」
帰宅
病院から帰宅した一郎と静一。
一郎が玄関のドアを開き、ただいまー、と声をかけても静子からの反応は無い。
リビングにも静子の姿は無い。
ママー? と呼びかける一郎。
静一はその背後でリビングを呆然と眺めている。
どこかに買い物でも行ってるのかな、と一郎は背後の静一に声をかける。
何も答えず、目を伏せる静一。
外からはカナカナカナ、とヒグラシの声が聞こえる。
静一はテーブルの自身の席に腰を下ろしてぼうっとテーブルを見るともなく見つめている。
「静一。」
座っている静一のそばに立つ一郎。
「じゃあパパ、今日飲み会だから行くけど。」
座ったまま一郎の顔を見上げ、あ…、とだけ声を出す静一。
一郎は笑顔で、今日はありがとな、ママによろしく言っといてくれ、と声をかける。
静一は一郎と目を合わせて笑顔を浮かべる。
夜が来る
家を出る一郎。
バタン、と扉の閉まる音が家中に響く。
外からはもうカラスが鳴く声が聞こえている。
静一は自室のベッドで窓に背を向け、身を屈めるようにして横になっていた。
虚ろに開いた目で視線を一点に固定し、姿勢をじっと保ったまま、外は暗くなっていく。
自室が暗くなっても姿勢を全く崩さない静一。
しかし、腹が鳴る音が静一を台所に向かわせる。
暗闇の中の静子
静一は真っ暗なリビンクの入口に立つ。
リビングに入らず、暗闇の中でじっとリビングに視線を漂わせる静一。
じっと立っていると、ガチャ、と玄関の扉が開く。
静一が玄関に視線を向けると、そこにいたのは静子だった。
静子は静一の姿を見つけ、一瞬驚いた様に固まった後、すぐに両手を開いて静一の元へと駆け寄る。
「静ちゃん!」
静子は静一を強く抱きしめる。
少しエビ反りになるくらいに抱き着かれた静一は抱き締めることも突き放す事も無く天井を見つめ、静子の成すがままになっている。
静子は静一を抱きしめたまま、静一が全然帰って来ないからずっと探していたのだと告げる。
静子が自分を心配しているのが伝わり、静一は静子の背中にそっと手を回す。
「どこ 行ってたん?」
静子の言葉に、静一は抱き締められたまま目を見開く。
「あ…あの…」
静一は、静子を抱きしめたまま答え始める。
「パッ……パッ………パッパッパパッがっ…」
「…まさか、しげちゃんのところ…行ったん?」
静子は静一の肩に手を置き、身体を離す。
そして、静一を見下ろす。
静一は、その迫力に気圧されるように静子を見上げる。
「そうなん?」
暗闇の中、静子は静一を冷めた目で見つめる。
感想
放心する静一
夜になった。
しかしこれ、まだ始業式の日なんだよなぁ。
吃音を同級生の比留間たちにギャグだと思われて笑われ、帰宅途中で吹石から吃音が静子のせいではないかと問われてその場から逃げ、そして静子の反対もあって行けていなかったしげるの見舞いに行き、衝撃的な姿を目撃するという、まさに怒涛の一日。
特に、見舞いで尋ねたしげるの痛々しい姿が静一の心に与えた衝撃はデカイだろうな。
静一は帰宅後にベッドの上に暫く横たわって放心していたが、その心の内で思っていたのは、やはりしげるの事ではないだろうか。
そもそも、静一本人に自覚があるかどうかは分からないが、恐らく吃音は、しげるが静子に突き落とされたのを黙認してしまった罪悪感、それでも母を守りたいという自身の内の相克する感情から始まっていると思う。
しげるが意識を取り戻さないのも、静一が患った吃音も、元をたどれば静子が原因なんだけど、静一にはその事実は決して見えない。というよりも、見ないようにしている。
いや、分かってるけど、それでも母を守ろうとしているのかもしれない……。
意識の戻らない、今後も戻りそうもないしげる。
そんなしげるを甲斐甲斐しく看病する伯母。
その伯母は、静子がしげるをこんな目に遭わせたのを黙認してしまったにも拘わらず、そんな自分を温かく迎えてくれた。
その心の内に湧き出したであろう罪悪感は奔流となって静一の感情全てを押し流す……。
大人でも抱えきれないであろう罪悪感に、思春期で揺れ動く中学生の情緒が耐えられるはずがない。
悲惨過ぎて参ってしまった。希望が無い。
静一がこの状況から脱するには……
静一がこの状況から脱するには、まずは静子と距離をとるのが急務だと思う。
でもそれが一番難しい。
現状で静一を助けるとれば、やはり吹石が本命になるのだろう。
吹石だけが唯一、静一と静子の間にあるただならぬ関係を直感している。
しかし自分で考えておいて何だけど、実際にいち中学生に他の家庭の問題に対して一体何が出来るというのだろう。
とりあえず静一が助けて欲しいという意思を示さない限りはきっと吹石は大したことも出来ないのは確かだ。
最も身近にいて、本来は一家の大黒柱として存在感を発揮して欲しい一郎は、伯母に心配を掛けない為というのもあるかもしれないが、静一の吃音が一時的に喋り辛くなっているだけだと説明してしまうくらいに静一の危機に対して鈍感なのが残念でならない。
一郎は暴力を振るう訳でもなく、精神的に追い込むわけでもない。
別に静一を可愛がっていないわけでもなさそうだ。つまり悪い人間ではない。
しかし、如何せん鈍いのが惜しい……。妻と息子の内で日々育っていく闇にまるで気づかないのは痛すぎる。
21話、22話と割と父親としては良い面を見せているように感じるが、今のところ一郎には期待が出来ないだろう。
メタな話になるが、押見先生の作品では割と父は空気として描かれている事が多いように思う。
この血の轍においてもその伝統は続くのか。
静一を救う、というよりも今よりもマシな状況にとすれば、もう静子の犯行を告発するか、もしくは、意識を取り戻したしげるがやはり静子を告発するしかないのか。
しかし、仮に伯母が真実を知ったとしたら、もう心穏やかに生きる事は出来ないように思う。
しげるが何の後遺症もなく元通りになればまた違うのかもしれないが、それは都合が良過ぎるというもの。
真実を知れば、伯母さんは烈火のごとく怒り狂う事になる。
静子には殺意を抱くだろうし、静一が静子の犯行を黙認していた事がバレれば、向けられる感情は憎しみになるだろう。
ただ、静一はいくらか救われるんじゃないか。
大きすぎる秘密を抱えなくても良くなるのは静一の心労を大きく減らすはず。
決して全てが解決するわけではないけど……。
正直、静一はもちろんの事、静子も一郎も伯母たちも含めて長部一族の行く末には悲劇しか予感出来ない。
闇の中、凄絶な表情を浮かべる静子
一体、静子は静一に対して何をしようというのか。
静一は自身が可愛がる一番の味方だというのに、闇の中に浮かぶ静子の表情からは何か暴力の気配を感じる。
ただでさえ参っている静一を静子が虐待するなんてことになったら……。
静一はもう限界に近い。
前回21話では恐らく静一はそのあまりの罪悪感に泣き出してしまったが、今回はもう泣くことはなかった。
ただただ疲れた様子だけが見て取れた。
何の感情も示さない静一に今後の不安しかない。
今思えば、不穏な感じばかりだった第1話がまだ平穏だったんだなと懐かしくなる。
あの頃はまだ静一は普通の子供らしく笑えていた……。
静一がまた笑える日は来るのだろうか……。
以上、血の轍第22話のネタバレを含む感想と考察でした。
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