第41話 B
第40話のおさらい
帰ってこない静一を捜して吹石家を訊ねた静子。
憔悴し切った様子ながら、懸命に自分を捜すその光景、そして母の心に、静一は流れる涙を拭おうともせず、ただただ静子を見つめていた。
吹石父から、静一を昨夜から捜していたのかという問いかけに、はい、と答える静子。
吹石父は警察への届け出を提案して、警察への電話を買って出る。
静子は、もう少し捜してみます、とそれを丁重に断ると、ごめんなさい、と吹石父に頭を深々と下げる。
そのまま頭を下げた状態で、今度は吹石に謝罪する。
「…由衣子さん。ごめんね。」
静子は、失礼します、と挨拶すると雨の中を傘もささず、背を丸めてとぼとぼと立ち去るのだった。
吹石父の傘を勧める言葉が聞こえていない様子で、静子はとぼとぼと歩いていく。
母がいなくなり、静一は壁に背を預けてしゃがみこんでいた。
静一はたった今目撃した母と吹石父、吹石とのやりとりにショックを受けていた。
静子が帰ったのを見届けた吹石が静一の元にやってくる。
吹石は静一の首に両手を回して抱き締めながら、呟く。
「こわかったあ! ほんとにこわいよ。あのお母さん。」
静一は吹石の言葉を黙って聞いていた。
「かわいそう長部…」
吹石は体を離して、静一に笑いかける。
「私が、守ってあげるからね。」
その時、扉が開く。
吹石の部屋のドアを開け、吹石が静一を抱いているのを目撃した吹石父は一瞬で怒りが爆発する。
強い口調で状況の説明を求める父に対して、吹石は一切怯まない。
静一のことは友達と言い張り、逆に、部屋に勝手に入ってきた父親を責めたてる。
父親は、この男の子こそが静一だろうと指摘し、吹石をいくつもの質問で問い質す。
そんな質問に対し、吹石は、うるさい、の一言で一掃する。
反省するどころか逆に強い口調で反撃する吹石。
「父親ヅラしないで!! クズのくせにっ!!」
静一はその激しい喧嘩を前に言葉を失っていた。
バカヤローッ! とキレる父。
「こんな…男連れ込んで…! 母親と一緒だいなあ!!!」
吹石は沈黙したかと思うと、素早くしゃがみこんでラジカセを両手で持ち上げると父親に向けて勢いよく放る。
父にラジカセを投げつける吹石。額にヒットする。
呻き声を上げて、その場に蹲る父。
吹石は静一の手を取って静一に強く呼びかける。
「長部! 逃げよ!!」
相変わらず雨の降る中、吹石は静一の手を引いてベランダのドアから駆け出す
吹石に手を引かれるまま静一は部屋を後にする。
「由衣子…」
静一は背後で吹石父が呻きを漏らすのを聞いていた。
第41話 B
逃げた先
日は落ちても、雨は降り続いていた。
立体交差の短いトンネルの中ほどで静一と吹石は隣り合って腰を下ろしている。
静一はジャージを着ているが吹石は家を飛び出してきた時のまま、薄着で裸足だった。
浮かない表情で地面を見つめていた静一は、吹石が、はあ、と一つため息をついたのをきっかけに隣に視線を送る。
短パンと裸足で冷たい地面に腰を下ろしている吹石の全身は、寒さで小刻みに震えていた。
それを見てジャージの上着を脱ぎ、吹石の肩にかける静一。
長部が寒いでしょ、と断ろうとする吹石に静一は、大丈夫、と答える。
吹石は静一をじっと見つめたあと、わかった、じゃ、こうしよ、と言って立ち上がる。
そして静一の肩にジャージをかけるとその足の間に腰を下ろし、静一の両手を自身の肩を抱くようにする。
「ああ…あったかい…」
静一は鼻先には吹石の頭がある状態で吹石がそう呟くのをうっとりと聞いていた。
雨は相変わらず降り続いていた。
吹石はずっと、静一の腕を自身の肩に回し、背中を静一に預けている。
「ぐすっ…」
吹石は泣き始める。
心配そうな視線を吹石に送る静一。
「…長部、私のこと…嫌いになった…?」
吹石は前を見たまま静一に問いかける。
「そっ、んなこと…ないよ…」
静一は吹石の言葉を優しく否定する。
それまでずっと同じ姿勢だったが、それをきっかけに吹石がゆっくりと静一の方を向く。
「…長部。」
吹石は涙を流し、静一に静かに訴えかける。
「私を連れてって。遠くに…」
静一に起こった異変
静一は何も言わず吹石を見つめていた。
しばらく二人は見つめ合う。
雨の音だけが辺りに響いている。
突然止まっていた時間が動き出すように吹石が静一の唇に口づけをする。
されるがままの静一。
吹石は静一と掌を合わせ、指を絡ませ合う。
二人の唇はくっついたままだった。
積極的に静一を求め続ける吹石は、静一の手をとるとそれを自分の胸にもっていく。
静一の左手は吹石の胸を鷲掴みしていた。
吹石は目をとろんとさせ、陶酔し切った様子で静一に向き直る。
二人の唇は離れようとしない。
口づけを何度も交わしながら、熱い呼吸を繰り返す。
壁に背中をもたれかけていた静一は、迫る吹石の圧力を受けて徐々に背中が下方へとずれていき、地面に背中をつけてしまう。
上位になった吹石は、小刻みに呼吸を弾ませながら静一を見下ろすと妖しく呼びかける。
「長部…きて…」
静一はとろけきった表情の吹石とは真逆に、若干引き攣った表情で彼女を見上げていた。
「はやく…」
吹石に先を催促される静一。
半開きになっていた口がみるみるうちに大きく開いていく。
静一は目も、口もめいっぱい広げて吹石を見つめていた。
その両手は自分の体を守るように小さく縮こまっている。
静一の異様に気づいた吹石の興奮は冷めていた。
じっと静一を見つめていたが、すぐに問いかける。
「…長部? どうしたん?」
静一の縮こまっていた両手は胸元で小刻みに震えていた。
静一は相変わらず目も、口も開ける限界まで開き切っている。
その状態で天井を見つめていた。
やがて静一の開ききった両目が涙で覆われ、すぐに溢れていくのだった。
感想
静子の復讐が現実味を帯びてきた
この二人はここからどうするんだ、というところで終わった前回。
吹石は秋雨の降りしきる中、靴も履かず、着の身着のまま。
静一は自分の持ち物は全部身に着けていたものの、雨が降る中で野宿ができるような装備など皆無だ。
いよいよ二人の幸せな時間は終わりだなと思う。
このあと二人は双方の親の手によって引き離されるだろうな。
一晩無断で外泊するのも、無断で泊めるのもありえない。
二人は大目玉を食らって当然のことをしたわけだ。
大人になれば「あの頃は若かった」なんて懐かしく振り返る事ができても、現在進行形で問題の渦中にあるときは地獄でしょ。
これが原因で二人の間がギクシャクして、別れてしまうのはあり得るよなあ……。
そうなるとダメージが大きいのは吹石よりも静一だと思う。
静子をまともに問題視できているのは作中では吹石だけだ。
つまり静一の本当の意味での味方になれるのは吹石だけと言える。
一郎は問題に向き合おうとしていない。自分にはどうしようもないと思っている。
吹石が離れていったら静一はどうなってしまうだろう。
前回、静一の静子への想いが復活したような描写があったので、割と元鞘に収まって安定してしまうのかも。
まぁそれが一番恐ろしいと思うが……。
あとは吹石が静子から復讐を受ける可能性。これがいよいよ現実味を帯びてきたと思う。
吹石父はきっと吹石が静一を連れて家を出たあと、静子に連絡しているはずだ。
そうなったときの静子の怒りはおそらく尋常ではない。
どういう形かは分からないけど、静子の敵意は吹石をロックオンし、きっちりと復讐を受けることになるだろう。
どんな危険に晒されるかはわからないけど、しげる以来の衝撃であることは間違いない。
静一の問題?
ラスト数ページは、静一の身に何事が起ったのかと思った(笑)。
静一は本当に難儀な体質だなぁ……。
彼は女性とまともに向き合えるようになれるのだろうか。
なんか読んでて辛くなってしまった。
静一に彼女を受け入れる器ができていないなんて。
なんだろうこれ。
腕の形とかすかな震えは、まるで発作を起こして固まっているように見える。
大口を空けているけど、別に呼吸が苦しいわけではなさそう。
涙を流しているのはなんだろう。吹石を前に異様を晒した自分を情けなく感じているのだろうか。
この反応も静子の影響なのかな……。
たぶんそうなんだけど、それは静子から受けたトラウマというよりは、静子の過保護な育て方かな? と思った。
トラウマではない気がするんだよなあ。
その根拠としては、静一は特に静子のことを思い出していたわけでも、また彼女のフラッシュバックに襲われていたわけでもないから。
完全に吹石と一対一で向き合った上で、ラストページの有様を晒した。
静一は吹石と一緒に逃げる直前に、自分のことで静子が憔悴する姿を見ていた。
それで前日のことで冷えていた静子への想いが甦っていたように見受けられたけど、今回に関してはそれは関係なく、静一自身の抱えている問題として考えてみるべきではないか……。
これは直感でしかないけど、彼は未知の領域に一人で踏み込むのが怖いのではないかと思う。
それは先に述べた通り、結局は静子の過保護が遠因ではあるのかもしれないけど、彼自身、あまりにも静子に守られることに慣れ過ぎて自発的に新しく何かを行うという経験があまりに希薄であるような気がする。
本来父親である一郎が静子から静一を引き剥がして一緒に遊ぶなどして「自分にはいろいろなことができる力がある」ということを教えてあげられたら理想だったのかもしれない。
しかし静一は、なんでここまで来てその反応なんだろう……。
まるでビビったら細くなって伸びあがるフクロウ(ミミズク?)みたいだ。
完全にビビってるでしょこれ……。
単に性に疎いというだけとは考えにくい反応だと思う。
別に”B”のその先へ行けということじゃない。断ってもよかった。
彼の問題は、ラストのような異常な有様を晒すことでしか反応できないことではないだろうか。
自分の意思を示すことができず、ただビビってフリーズするだけというのは非常にまずい。
自分があくまでそう考えたというだけで、実際はもっと全然違う理由なのかもしれないけど……。
でもこの漫画は静一の視点だから、それならやはり静子を思い出す描写がないと違和感がある。
実際、静一はこれまで、しつこいくらいに要所要所で静子のフラッシュバックに襲われてきた。
今回はそれが一切なかった。
自分は、彼自身の弱さの露呈ではないかと解釈した。
たとえその弱さを生んだのが静子との関係だったとしても、彼は今後、それをなんとかして乗り越えなくてはいけない。
でも自分の問題点と向き合ってそれを克服しようと思い立て、と言うことは無茶な要求なのかもしれない。
ましてや彼は中学二年生だもんなぁ……。うん、やっぱ突き放すのは酷だ。
幸い吹石はちょっとやそっとのことでは静一から離れていくことはないだろう。
彼女は天使というわけではなく、きちんと内にドロドロとしたものを抱えた一人の人間、そして女として描かれているので、静一に執着する理由はただ単に静一のことが心配だからとか人間味に欠ける”男にとって都合のよいもの”ではない。
でも静一にとっては吹石は救いであることに変わりはない。
彼女が静一とじっくり時間をかけて向き合っていけば、徐々に静一は今回のような反応を克服できるんじゃないかと思う。
しかし彼自身、そもそも今直面している自分の異様を、問題として捉えることができるかどうか。
普通の中学生にはとてもムリでしょ……。
むしろこの経験をトラウマとして吹石から離れていくなんてことはないよね……。
静一は年相応に恥を知っている。
自分が、おそらく無意識で晒したであろう異様を恥じ、静子の元に逃げ込む展開は充分ありうるのではないか。
前回で静子への想いは復活してるっぽいから、そのお膳立ては整っているといってよい。
最近の話では、静一がそれまで静子に追い詰められていたのとうって変わって吹石と刹那的ではあるけど幸せな時間を過ごす描写が続いてきた。
ここからまたその幸せ曲線は下降線をたどっていくのか。
衝撃的な、あるいはエグい瞬間が訪れるのは遠くない気がする。
静一には悪いけど、おそらく読者の大半はその展開を今か今かと固唾を飲んで見守っているんだよなあ(笑)。
果たして静一は、今回のような、自分の追い詰められた時に発症する癖みたいなものを一掃することができるのか?
以上、血の轍第41話のネタバレを含む感想と考察でした。
第42話に続きます。
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