第17話 逢い引き
第16話のおさらい
家に忘れ物をしたという静子と一緒に車で自宅に戻って来ていた一郎は、静子が車に戻ってくるのが遅いのが気になり家に入る。
静子がどこにもいないので静一に訊ねる為に二階の静一の部屋のドアを開けると、ベッドの上に二人で横たわる光景を目撃する。
二人の周りに散乱している紙クズといい、訳がわからない一郎は静子を問い質すために肩を揺する。
むく、と起き上がった静子の冷めた表情に戸惑う一郎。
大丈夫かと心配する素振りを見せつつも、忘れ物はあったのかと問いかける一郎に静子は、内側から不意に起こった笑いに身を任せた後、しげるの病院には行かないと宣言する。
ひとりで行ってと言う静子に何故と問いかける一郎。
静子は、自分が行ってもしょうがない、何か意味があるのかと投げやりに問い返す。
一郎は、そんなことはないと反射的に返すが、静子は全く意に介さない。
「…わかんないん? なんにもわかんないんね。」
「私がどんな思いでいたのかなんて、なーんにもわかんないんだいね。」
さめざめと涙を流す静子の様子に狼狽える事無く、わかるよ、と共感の意を示そうとする一郎。
しかし静子は怒気を含んだ声で一喝する。
「何がわかるん!?」
静子は泣きながら静一を庇うように両手を横に伸ばしながら、私達は関係ないから一郎は親族の元へ行けと主張する。
「早くほら! さっさと行って!!」
怒り、憎しみを剥き出しにした静子の鬼気迫る表情に圧倒され、その場を立ち去る一郎。
一郎が去った後、憔悴したような静子の後姿に手を伸ばす静一。
しかし静子は背伸びをし、静一に振り向く。
「あはっ ママゆっちゃったい。」
憑き物が落ちたような明るい表情で静一に話しかける静子。
静一は、鼻歌を歌って部屋を出て行く静子の後姿を呆然と見つめるのだった。
第17話
静一が蝉の泣き声が響く自室で、机に向かって勉強をしている。
静子と一緒に吹石の手紙を破ってから三週間。
静子は静一に対して、意識不明のしげるに関しても、吹石の事についても何も言わなかった。
さらに、静子が一郎にしげるの病院には行かないと宣言して以来、一度も見舞いに行くことは無かった。
数学の式を書くのを止めて、静一は自分の唇にそっと左手を添える。
部屋の扉が開く。
誘い
静一が扉の方を向くと、そこには静子が立っている。
「静ちゃん。」
静子が小首を軽く傾げて笑顔を向ける。
「宿題すすんだ?」
静一は静子の顔を見つめ、答えるまでに一瞬間が空く。
「………くっ…」
静一が答え始めるのを静子は微笑を浮かべたままじっと待っている。
「くっ…ふ………ぐ…」
中々言葉が出てこない。言葉を詰まらせながらも、やっと笑顔を浮かべて意思を示す。
「うん。」
「ほっ…ほとんど…おっ…おっ…」
静子は静一の様子を特に不審に思っているような様子もなく、笑顔を静一に向け続ける。
「なっ…夏休み…も…すぐおわっ…りだし…」
ね、と静子が静一の言葉が終わる前に話しかける。
「長崎屋に行ごうか。」
静一は目を見開いて静子を見つめる。
「静ちゃんの服買うから。一緒に来て。」
笑顔の静子。
静一は素直に頷く。
吃音
入道雲が遠くに見える。
蝉が鳴き声が響き渡る中、静子と静一はそれぞれ自転車に乗って歩道を走る。
静一は息を弾ませながら、前を行く静子の背中を見つめる。
「あっ長部さん!」
自転車で通りがかった静子と靜一に、中年女性が横から声をかける。
「あついんねえ~~」
中年女性は自転車を停めた静子と靜一に向かって話しかける。
「親子でお出かけかい?」
何も言わず自転車に跨ったままの静一。
「あ、こんにちはー。」
静子は笑顔で中年女性に愛想よく返事をする。
「あついですねぇー。」
「静一くん久しぶり。」
中年女性は笑顔で静一に向かって話しかける。
「大きくなったんねぇ~ 何歳になったん?」
静一は中年女性の顔をじっと見ながら、ぎこちなく唇を開く。
「…う…ぶっ……………………ぐっ…」
静子は、歯を剥き出しにしながら発音に苦しんでいる静一を横目で見ている。
「じゅうっ……さんさいっ…です!」
歯を食いしばるようにして、ようやく答えた静一。
「あ…ああそう。」
中年女性は静一の様子に違和感を覚えたのか、深くは追求することはない。
「じゃあ…気をつけてね。」
中年女性から目を逸らす様に下を見る静一。
「どうも――」
静子は何事も無かったように、中年女性に笑顔を向けて自転車をこぎ始める。
三人組から思わず身を隠す静一
長崎屋に着いた静子と靜一は服売り場を歩いていく。
静子が服を物色しているのを静一は見つめている。
「あ。」
静子が静一に、これどう? と黒いTシャツを静一の体に宛がう。
「ほら似合うー。これにする?」
「…べっ」
静一は静子と向かい合っているにも関わらず、静子と目を合わせる事無く答える。
「べっべっべっ」
「べっ つに…」
静子はシャツを静一の前に掲げたまま、じっと静一を見つめていたかと思うと、左手の人差し指で静一の右頬を、ぷに、と突く。
「もう~」
楽しそうな静子。
「べつにべつにってぇ。」
もう――、ともう一度静子が言ったその時、静一の耳に、ギャハハハッ、と楽しそうな笑い声が聞こえる。
「大輔マジ バカげだいなー!」
「バカげバカげ!」
そこにいたのは静一とつるむことの多い、小倉、酒井、比留間の三人組。
静一は、楽し気に会話しながら歩いていく3人と顔を合わせないように、被っている帽子のつばで顔を隠す。
静子は静一の様子を気に掛ける事無く、こっちはどう? と静一の気に入る服を物色している。
静一は黙ったまま俯く。
注文
長崎屋のファミレス。
静子と靜一は窓際のテーブル席で向かい合って座っている。
静子はメニューを見ながら、何にしようかなー、と考え、静一に問いかける。
「静ちゃん 決まった?」
ん、と答える静一。
それを受けて、すいませーん、と店員を呼ぶ静子。
男性店員が、お伺いします、と静子と靜一に近づいていく。
「えーっと私は、エビグラタンとわかめスープで。」
静子はスムーズに注文を済ませる。
「静ちゃんは?」
静子は笑顔で静一に注文を促す。
「……」
静一はメニューを見つめたまま口を開く。
「……こっ…」
「ミックスピザでよろしいですか?」
静一がメニューの写真を指で示している様子から確認する男性店員。
「タコの唐揚げは?」
静子が静一に向かって話しかける。
「静ちゃんここに来るといつも食べてたがん。タコの唐揚げもたのむ?」
静一は頷く。
「あ、じゃあごめんなさい。」
男性店員に声をかけた静子は、タコの唐揚げひとつ、と注文をする。
かしこまりました、と言う男性店員に、静子は、すいませーん、おねがいしまーす、と笑顔を向ける。
「まだ、意識戻らないって。」
注文が済み、料理が出て来るのを待つ静子と靜一。
静一は俯き、すぐ手元の占い機をじっと見ることも無く見ている。
あ、と声を出した静子に、静一がゆっくりと視線を向ける。
「見て静ちゃん。」
静子は窓の外を見ながら、静一に話しかける。
「外が光で真っ白。」
その言葉に従うように、静一も窓の外を見る。
「キレイなんね…」
見惚れた様子で呟く静子。
「しげちゃん。」
静子の突然の一言に静一が静子を見る。
「まだ、意識戻らないって。」
静子は重ねた両手で頬杖を付きながら窓の外を見つめている。
「おばちゃんずっと病院に泊まってるって。大変だいね。」
「かわいそうだいね。」
静かに呟く静子。
「かわいそう……」
静子は窓の外に向けていた視線を静一に向ける。
「私達が全然お見舞い行がないの、みんなはどう思ってるんかねえ。」
薄く笑いながら静一に問いかける。
「ねぇ? 静ちゃん。」
静一は目を伏せ、黙っている。
男性店員が、お待たせしました、とタコの唐揚げをテーブルに乗せる。
「まあおいしそう~」
静子が静一に、食べな、と促しながら、ママも一個もらっていい? と言ってフォークでタコの唐揚げを口に入れる。
「おいひ。」
笑顔を浮かべる静子。
感想
以前の感想記事で危惧していたとおり、静一が吃音を発症した……。
まさか本当にあれが吃音の兆候だったとは……。
以下、15話の感想記事より抜粋。
今回で思ったけど、静一がなんだか吃音っぽくなっているように思える。
静子がしげるを突き落とした後、ちょいちょい静一が吃音っぽくなっているような場面が見受けられるように感じる。これって、静子のしげるに対する犯行を世間に隠している状況に、静一が精神的にキテるってことなんじゃなかろうか?
13話でも静子と一郎がしげるの病因へ見舞いに家を出たあと、静一は一人ベッドで泣いていた。
昨日の今日だからショックは大きい、というよりむしろより重く感じるのかもしれない。
慌てて喋ろうとして言葉に詰まったりするとこんな感じになることはあるけど、何か静一のその様子が、壮絶な体験をした後なだけにちょっと尋常じゃないというのかな……。
押見先生は元々ご自身が吃音の経験があったり、あと「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という名作も描いているので吃音の様子をリアルに描けるというのもあって、気になってしまった。
血の轍15話の感想より。
元々静一は口数がそこまで多いわけではなかったけど、静子の犯行以降、静一の口数は著しく減っている。
静一の吃音の兆候は、特に吹石が訪ねて来た13話、吹石とのやりとりからはっきりと見られる。
しかし、部屋の中で吹石と二人でやり取りしている際に、静一が言葉を詰まらせている。
静子は、静一の様子がおかしいことに気付いていないのか?
いや、気づいてないわけがない。
まるで、静一がこうなっているのを楽しんでいる、とまでは言わないけど、都合が良いと思ってはいないだろうか?
静一が自分の犯行を告発したりしないだろうという確信?
いやいやいやいや……、犯行を隠蔽できるとかどうとかはあまり関係ないか。
都合よく思っているのは、静一が口応えもせず、自分に依存してくれる、そして依存せざるを得ないって事かな。
1話や2話の時点では、まだ静子の過保護な振る舞いを思わず拒否するくらいの姿勢はあった。
でももう、静一に芽生えていたそんなわずかな自立の芽を完全に摘み取る勢いで静子は静一を支配するようになった。
静一の表情は夏休み前とはうって変わって暗い。
タイトルの「逢い引き」の通り、静子は静一との逢瀬を楽しんでいるのに寒気がした。
中学生くらいになると、親と出掛けるのに抵抗を覚え始める。
どこかに出掛けるにしても友達と行く事が多くなりはじめる時期だ。
服売り場でニアミスした小倉、酒井、比留間の三人組のような在り方が中学生としては自然だと思う。
その対比として、母と一緒に出掛け、母の言うままに服を選んでもらっている静一の何と虚ろな事か。
静一の、無力感に苛まれ、何もかも諦めたような様子が見てて辛い。
静子と一緒に吹石の手紙を破ってから三週間の間に静一の吃音はきちんとした症状として進行してしまった。
訪ねて来た吹石とは、はじめはまだ普通にやりとり出来ていたのになぁ……。
新学期、静一の吃音の様子にクラスがざわつくことだろう。
吹石は最初は心配するけど、静一を見限るのか?
それとも心配し続けて、逆に好きになってより静一に踏み込むのか。
後者の場合、吹石の命が危ないだろう。
マジで危ない。静子に殺されるかも……。
物語を盛り上げるなら後者なんだろうな……。やだやだ……。
そして、静一と会話が無かったけど、今回登場した小倉、酒井、比留間の三人組。
1話でも描写があるように、彼らは元々静一とつるんでいる。
しかし自分は、その仲はどこかいじめに発展しかねない危うさを孕んでいるように思っていた。
1話より
吃音は、その症状を知らない人間にとってはただただ違和感を覚える奇妙な振る舞いにしか見えず、バカにされる対象になりやすい。
特に中学生だとその容赦なく投げかけられる奇異なものを見るような視線は相当きついと思う。
静一は間違いなくクラス中からバカにされてしまうだろう。
特に、いつもつるんでいた小倉、酒井、比留間の三人からいじめの憂き目に遭うのではないかと思う。
いじめは全く無関係な奴らから受けるパターンもあれば、以前に関係があった奴らから受けるパターンもあると思う。
そして自分は、特に後者の方がリアリティを感じる。
仲が良かった相手がふざけてその中の一人をまるでゲーム感覚で爪弾きにし、そのゲームが継続していじめとなる。
静一はこれからどんどん追い詰められていくだろう。
しげるを突き落として平気な顔をしている静子への恐怖。
それを覆い隠さんばかりに自分に向けられる静子の愛情。
そんな静子を庇おうとして、刑事に、おばさんたちに嘘をついた罪悪感。
しげるの回復を祈りながらも、しげるが意識を取り戻した場合静子の犯行がバレるという焦り。
気になっていた吹石から思いがけずもらったラブレターを、静子に先に読まれ、しかも一緒に破かされた。
吹石との仲は静子が認めてくれないから諦めざるを得ないという絶望。
これら、静一の不幸の全ての元凶は静子なんだな。
静一自身は気づいていたとしても、静子から離れる事も出来なければ、そもそもそれを思いつくこともないだろう。
ましてや静子を告発することも……。
まさに「究極の毒親」ここにあり。静一が可哀想すぎる。
あと、静子が一郎に牙を剥いた日から三週間が経ったというが、その間、まだ静子と一郎との関係がどう変化したのかと言う描写はまだ無い。
しかし、確実に変化はあったはず。
考えられるのは、明らかに静子が一郎に対して冷たくなった、そっけなくなった、最悪無視するようになったとか……?
もしくは一郎が静子に謝って、静子はその謝罪を受け入れたけど溝は広がったままとか。
とにかく、もう二人の間には、夫婦としての空気感はほぼなくなっているか、もしくは仮面夫婦のそれになっているのではないかと思う。
前回で、静子は一郎を完全に見限った。
そしてその代わりに、静子の愛情はより静一に注がれるようになったようだ。
今回の話で、特にファミレスでタコの唐揚げの注文を静子が提案し、代わりに注文する様子が印象的だった。
こういうのって普通に行われていることだと思うけど、漫画で見ると結構良くないことでもあるように感じてしまう。
相手の意思を奪っている現場を目撃したような気分の悪さ。
過保護な親は無自覚にこういうやりとりで子供の自立の意思を少しづつ奪っているのかな……。
実は自分にもちょっと身に覚えがある。
高校くらいからそれを自覚して、意識して直してきた。
はい、いいえだけを問われ、それに答えることだけの生活は楽だが、それを繰り返していくと人間は意思が薄弱になっていく。
自分では何も選べない、何の意思も示せない、そんな情けない人間になってしまう。
今後、静一はクラス中からバカにされる。
弱り切った自分を変わらず受け入れてくれる静子に依存するだろう。
そんな静一を静子は愛情で支える事に無上の喜びを覚える。
共依存関係はどこまで発展していくのか。
そして家族は一体どこに向かう……。
静子は相変わらず美しいが、でも以前よりは無邪気にそう思えなくなったな。
表情、言動すべてが怖くなってきた。
一体静子の過去に何があったのか……。
とりあえず次は静一の登校か? だとすれば嫌な気分になることは間違いないだろうな……。
静一が不幸になる事はもう何となくわかっていたことだけど、実際まざまざと見せられるときっついなぁ……。
以上、血の轍第17話のネタバレを含む感想と考察でした。
第18話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。あわせてよみたい
押見修造先生のおすすめ作品や経歴をなるべく詳細にまとめました。
血の轍第3集の詳細は以下をクリック。
血の轍第2集の詳細は以下をクリック。
血の轍第1集の詳細は以下をクリック。
どうせ押見さんのことだから、静一か静子のどっちかが空想なんでしょ。読んでりゃ分かるが、静一と静子の他者への発言がほぼ似てるところがある。静子の発言が無視されている描写もあるし、静一の父がしげるとしげるの母が家に来るときに、静一にしげると仲良くとしげるの母のことに触れなかったりしている。
あと食事かな。朝食が肉まんとかあんまんとか普通にありえんよ。それに出前とかチャーシューごはんとか、子供がしそうなこと。そんな単品で済ませるのはシングルファーザーのこそだての傾向にも見える。
静子が精神を病んで、父が看病しているという結末か。それおも静一が精神を病んで、静子やしげるやしげる母あまりを空想している結末か。まあこんな辺りだろ。
面白い予想ですね!
確かに食事は違和感ありますよね。
朝食+肉まんorあんまんかと思ったら、肉まんorあんまんしか出さないとかどうなんだろう。
朝だから軽く、という事なのかな。
自分はそうやって自分なりに補完していました。
食習慣に関しては各家庭で違っていて当たり前だからこそ、その家庭の色が如実に出る場面です。
確か、キレやすい子供がいる家庭の食事はジャンクフードが多いという調査があったようななかったような……。
なので食事に関しては、押見先生がさりげなく読者に違和感を抱かせたかった部分かもしれませんね。
発言が似てるところがある、というのは家族だとそこまで違和感がないかな。
子供が、最も身近な人間である親から受ける影響は非常に大きいですから似ていて不思議ではありません。
あと、一郎が静一に対してしげると仲良く、とだけ言った点に関してもそこまで違和感ありませんでした。
しげるの母に対応するのは静子、しげるに対応するのは静一、という役割分担はごく自然だと思います。
精神を病んで~、というのはあるかもしれないですね。
物語の最初からではなく、山登り以降で病んだとか。
あと、実は山登りで静一か静子のどちらかが崖から滑落していた、という展開もあるかな。
できればそんな夢オチの親戚みたいな展開は勘弁してもらいたいところです(笑)。
それに、メタな視点から言えば「究極の毒親」というテーマを描くのに夢オチを選択するのかな、という疑問があります。
押見先生には是非、実際に誰かが経験したんじゃないか、というくらい生々しいドラマを描いてもらいたいです。