第43話 帰巣
第42話のおさらい
静一と吹石の逃げ込んだトンネル内。
吹石に迫られ押し倒された静一を吹石は心配そうに見つめていた。
やがて静一を抱き締めるべく覆いかぶさる。
静一は抱き締められていたが、突然、吹石の肩を強く掴むと彼女を自分の上からどかし、起き上がる。
そして自分の靴を吹石の前に置き、履くようにと吃音交じりに伝える。
静一は少しの間、吹石を見つめていたが、踵を返し歩き出す。
吹石は静一を呼び止め、どこに行くのか、と泣きそうな表情で訊ねる。
吹石に振り向くことなく、もう帰る、と静一。
自分のせいなのか、と泣きそうな声で、縋るように訊ねる吹石。
静一は彼女の言葉を目をぎゅっと閉じて聞いていたが、やがて吹石をトンネル内に置いて、一人外へと駆け出していた。
静一は橋の歩道をとぼとぼと歩いていた。
すると前方から突如、ギイイッ、という異音が聞こえてくる。
静一の進行方向には、自転車を押している人物がいた。
その人物はガードレールに向けて放るようにして自転車を倒して、一目散に静一に向かって駆けてくる。
静一は立ち止まってその人物を呆然と見つめている。
静一は、駆け寄って来る人物が静子であることに気づいていた。
吹石家で見たままの姿で静子はずぶぬれになって静一を捜し続けていたのだった。
静子は駆け寄っていく勢いそのまま静一を強く抱きしめる。
息を弾ませ、その左頬に口づけをしていた。
静子は嗚咽を上げながら静一に自らの不明を謝罪するのだった。
繰り返される謝罪を、静一は身動き一つせず、静子の抱擁と共に受け入れていた。
「せいちゃんのこと…ちゃんと…見るから…っ」
「せいちゃんは…人間だよね…っ」
「ごめん…ごめんね ごめんね ごめんねぇ…っ!」
母の悲痛な叫びを境に、静一は口元を歪めていく。
「…ママ…ごめんなさい…いらないって…言って…」
静一からの謝罪を受け、静子は静一から体を離して、その顔に両手をそえる。
そしてさきほど顔をくしゃくしゃにしていたのが嘘のように穏やかな表情で静一を見つめるのだった。
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第43話 帰巣
荒れ果てた居間
静一は静子に手を引かれ、俯きながら雨の中を歩いていた。
ずぶ濡れの二人は玄関のライトが煌々と輝いている自宅へ到着する。
静子は玄関の扉を開き静一を先に入れると、おかえり、と背後から声をかける。
静一はそれに対して特に何も答えず、靴下を脱ぐとゆっくりと居間へ向かう。
居間は荒れ果てていた。
テーブルには食器が食事をした後の状態がそのままとなって放置され、床には衣類や紙が散乱し、倒れたゴミ箱の中身も床にこぼれ出ている。
その惨状を呆然と見つめている静一。
「静一!」
静一の名を呼びながら一郎が登場する。
「よかった…」
一郎は静一の無事な姿を前にして安堵していた。
しかしすぐに、どこに行ってたん!? と追及を開始する。
「お父さん達すごく…」
静子は一郎を制止するように右手を伸ばす。
「何も、言わないであげて。」
「………」
静子と静一の二人を見つめたまま、黙る一郎。
静子は、寒かったんべ、と静一に風呂に入ることを勧める。
食事
静一が脱衣所で服を脱いでいく。
パンツごとズボンを脱いだ静一は、パンツに射精した跡が残っていることに気づく。
しかし特に何も特別なことはせず、そのパンツを丸めて、洗濯機に無造作に放り込む。
湯船に浸かっていると、風呂場の扉越しに静子が現れる。
「静ちゃん。」
半透明のドア越しに、静一は静子がこちらを見ていることに気づく。
「ごはんできたから。出て来な。」
それだけ言って立ち去っていった静子に視線を送る静一。
風呂から出ると、居間のテーブルにはすでに食事が用意されていた。
ご飯、味噌汁、餃子、きゅうり。
まだ衣類は散乱しているものの、テーブルの上にあった食器類は片付いている。
「おなかすいたんべ。食べな。」
お話
箸を手に取り、いただきます、と言って静一は食事を始める。
静一が餃子を口に運んでいくのを、静子は穏やかな表情で見守っていた。
餃子を咀嚼し、飲みこむまでの一連の動きも見逃さない。
静子の視線を全く気にすることなく食事を続ける静一。
白米を口に入れ、味噌汁を傾ける。
静子はテーブルに両肘をつき、その視線をずっと静一に向けていた。
「静ちゃん。」
静子が切り出す。
「パパは、おばあちゃんちに行ってもらったから。」
静一の視線は食事に向けられたままだった。
表情にも変化はない。
「静ちゃんと2人で、お話するから…ぜんぶ。」
微笑を湛えて言葉を続ける静子。
静一はそこでようやく視線を上げる。
静子は右肘をテーブルにつき、頬杖をついて静一を見つめていた。
「まず、ママのお話からするね。」
感想
居間で何があった?
一体、この居間で何があったんだろうなぁ……。
静一が姿を消していた一日や二日程度でここまで荒れるものかな?
いつまでも帰らない可愛い一人息子の身が心配なあまり、静子は一体どんな風にこの居間で時間を過ごしていたのだろう。
最初は待っていたけど、あまりに帰ってくる気配がなくて、ついに待ちきれなくなって家を着の身着のままで飛び出したといったところか。
歪んではいるんだけど、でも愛情もあるんだよね……。
しかしそれが、母としてか、それとも自分の一部としてなのか……。
でも少なくとも静一を一人でずっと探し続けていたわけだから、静子を単なるサイコマザー扱いするのに躊躇ってしまう。
異常行動もあったし、毒親にカテゴライズされるのは間違いないけど、マシじゃないの? とも思う。
食器がそのままなのはともかく、衣類の散乱に関してはほぼ間違いなく、静子が行ったものだろう。
息子の行方が知れず、静子がどれだけ心を乱していたかが窺える。
ただ食器に関しては、一郎が片付ければいいのにな、と思った。
静一がいなくなって静子が明らかに恐慌状態に陥ったことだろう。
食器を洗う心の余裕などない。
そういう時こそ、夫が支えるべきだと思うんだが……。
でも食器はそのまま。衣類やらなにやらも片付ければいいのに……。
しかも静一を探しに出た様子もない。これは父親としてどうなんだろう。
その内帰ってくる、とどーんと構えていたわけでもないだろうし……。
この件で個人的には一郎の無力さが決定的なものになったかな。
居間が荒れ果てているにも関わらず、一郎がそこに一切手をつけようとしていない。
この無関心さ、あるいは頼りなさ、家庭への放置プレイっぷりこそがこれまでの長部家での一郎の在り方を象徴しており、静子のストレスの原因の一つではないかと改めて感じた。
血の轍はとかく静子の見せる狂気が取り沙汰されがちなんだけど、こうした生活面の細部を見ていくと、静子がそうなってもおかしくない、と思わされる点もちょこちょこ見受けられるんだよなー。
もうちょっと一郎が静子のこと助けても良い気がする。
一郎は良くも悪くも家庭に影響を与えていない。
暴力振るったりするよりは遥かに良いんだけど、あまりにも存在感が無さ過ぎるのも結局は家庭にとって害だと思う。
実家に帰らされた一郎
一郎……。(;ー;)
前項でも触れたが、何という家庭内における実権及び影響力の無さ……。
普通、大切な一人息子が1日いなくなって、帰ってきたらとりあえず食卓は全員で囲むものじゃないかな?
でも、どうやら静子が有無を言わせずに祖父母の家に帰らせたようだ。
静一がお風呂に入っている間に、一郎と静子の間にどんなやり取りがあったのかはわからない。
しかし現実としてわずかな時間で一郎は自宅から姿を消し、静子は一郎をいないものとしてサシで静一と会話する態勢を整えていた。
静子は静一に対し謝罪していたけど、その実、静一を”教育”する気満々だと思う。
この後、静一が静子からストレスを受けることはほぼ間違いないんじゃないかな……。
吹石とも距離が離れた現状において、ストレスを受けた静一に助け舟を出せるのは父親である一郎しかいないだろう。
といっても、一郎はこれまで静一が吃音になったりしても特に何もしなかったわけで、そんな最低限の役目もそこまで期待出来ないんだけど……。
一郎は静一が帰ってきた時、ただ安堵した様子で、決して怒ることはしなかった。
彼は穏やかで良い人だと思う。病院に見舞いに行った時も別に静一に強要したわけでもなかったし、頼りないかもしれないが、静一の味方になってくれると考えて良い。
しかし如何せん、覇気が足りない……。
静一に何も言葉を残すことなく、妻に実家に帰らされるというのは父親の在り方としてはかなりショボイと思う。
もし自分が一郎のポジションだったら、雨の中、車で実家に帰っている途中、泣くと思う。「俺、何やってんだろう」って。
静子からの必死の頼みを聞き入れて一時実家に帰ることを決めたとしても、その前に、いくら静子に、何も言わないであげて、と脅された言われたからって、それを律義に守らず、一言くらい父親として静一に重みのある言葉をかけて欲しかったかな。
静子がよほどのことを一郎に言ったのだろうか。
もしひどい言葉をかけられて、失意の状態で実家へ向かったのだとしたら、その姿はあまりに痛々しく見ていられない……。
押見先生の漫画に出てくる家庭は、父親の存在が希薄であることが多い様に思う。
この漫画でもそれは顕著だ。
静子は何を言う?
ラストの「まず、ママのお話からするね」。
静一の立場になって読むとマジで圧がすごい。
無断外泊して悪かったけど、説教するわけじゃないならせめて明日にしてくれ……と思う(笑)。
自分の話かよ! って感じ。
ここにきて、静子は自分をぐいぐい曝け出して来てるなぁ。
1巻の前半あたりの穏やかなママっぷりが嘘のようだ。
……まああれも破裂しかけた風船状態だったと言えるわけで、要所要所不穏だったし、怖いことに変わりはないんだけど。
次号から、静子は一体何を語ろうというのだろう?
やはり、吹石家の玄関で静子が血を吐くような勢いで言った、親に「愛されなかった」ことに関してかな?
現状出ている情報から推測すると、多分それが有力だと思うんだけど……。
そもそもかなり気になっているところだし。
仮にそうだとして、普通、自分が子供の頃抱えた心の傷って実の子供と共有したいものかな?
静子は普通じゃないから、と言ったらそれで話は終わってしまう(笑)。
一日中、下手すれば一晩中静一を探し回って、疲労が限界状態だから逆に静子の勢いが止まらないのかな。
一郎に向けた「何も言わないであげて」の時の表情の迫力がすごかったのはつまりそういうことなのでは?
このシーン見ると、今や静子が完全に家庭の主導権を掌握してることが分かる。
「静ちゃんと2人で、お話するから…ぜんぶ。」
本当に”ぜんぶ”話すのだろうか。
彼女が一体何を話したいのか今から気になって仕方ない。
そして、その話をした先に、一体静一とどうなりたいのか。
ただ話してわかりあった、という実感を得たいという線もあると思うけど、”ぜんぶ”話すことによって、静一との関係性を再定義しようとしてるんじゃないのかなと思った。
静子はおそらく、静一との関係を今のままでは良くないと感じているのではないか。
しかしもし自分が静一だったなら、正直今は、たとえどんな話をされても重荷でしかないかな……。
ただ、自分が中学生の頃はそんなド正直に空気を読まずに自分の気持ちを言うことなんてできなかったなあ。自我はあったけど、遠慮はあった。今はそこそこ空気無視するけど、そんな図太さを中学生に期待できないわな。
静一は静子に謝罪したばかりだし、静子に付き合わないわけにはいかないだろう。
そもそもこの会話を拒否するという選択すらない。静子と謝罪し合ったこともあり、静一は今、静子に対してファイティングポーズとろうなんて露ほども考えてない。
たとえ、今は放っておいて欲しいと思ったとしても、心配させてしまったことは確かだし付き合わざるを得ないって感じ。
まぁ前向きな展開はないだろうなー。
この夜を境に、静子と静一の歪んだ結びつきがより強くなるのか?
少なくとも、何かが解決する、という期待感を含んだ空気は全く感じられない。
次号、静子の口から出る言葉から一体何がわかるのか。
そしてそれを受けて静一はどうなる?
この先の展開、楽しみ、というより怖いかな……。
以上、血の轍第43話のネタバレを含む感想と考察でした。
第44話に続きます。
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