第120話 電話
第119話のおさらい
父の納骨を終えて、アパートに帰宅した静一は梱包用のビニール紐を用意して、死ぬための準備を行う。
ドアノブにビニール紐をかけ、それで首をくくるシミュレーションを行い、いざ、泥酔して実行しようとする静一。
首にビニール紐を食い込ませ、徐々に静一の視界が歪み、意識が徐々に遠くなっていく。
しかし静一薄れゆく意識の中で、突然静子の幻を見る。
幻覚の静子から、勝手なことをするなと脅された静一は急いで首のロープを外し、生き延びてしまう。
静一は、死すら静子に禁じられているというのか?
第119話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。第120話 電話 感想
やはり静一は死ぬことができなかった。
どうやって自身の命を絶つか、その方法を求めて街を彷徨うだけで、前回のように実行しようとすらしていない。前回で自死に伴う苦しさを学んでしまったこともあり、この感じだと、時間が経過するほど実行が困難になっていくのではないか。不安定な精神状態とはいえ、きちんと翌日の仕事に行くことを考えているし、ひとまず自殺に踏み切る危機は峠を越したように思える。
かといって、静一は決して命を惜しんでいるつもりはないだろう。むしろ一刻も早く楽になりたいはずなのに、静一の頭の中の静子が、実際の静子が直接発していないはずの言葉で静一を強く呪縛している。
静子は静一に生きるなとも死ぬなとも直接発言したことは無い。
静子が静一に対して行っていたのは、あくまで自分を満たす為の静一の精神と行動の支配だった。それが静一には「生きるな」「死ぬな」というメッセージとして意識に予備が得って来ているようだ。
静一は静子とはもう20年以上会っていないのだが、結局その間に静子と同等か、或いはそれ以上に影響を受けて、人生や考え方を変化させられるような何かとの出会いには恵まれなかったということになる。それを思うと、静一がこれまで歩んできた人生はあまりにも寂しい気もするが、じゃあそういう出会いに恵まれる人が多いかと言えば、自分はそうは思わない。人生を好転させる何かとの出会い。その可能性がほとんど見えない、淀んだ、しかし安定した生活サイクル。静一が直面している現実は、実は割と多くの人が直面している現実に近いものでもあるように思う。
最も身近な人間である親からの影響は逃れ難く、その後の人生に大いに影響してくるものというのは個人的な経験からも納得できる。
特に親から虐待を受けるなど、複雑な思いを抱いている人が意識的、無意識的に、生涯それに囚われ続けてしまうというケースは非常に切実なんだろうなと思った。
あとは前回も思ったが、静一の内にある生きたいという思いと、しげるへの強い罪悪感と楽になりたいという思いのせめぎ合いの中で、静一の無意識が生きる理由として捻り出したのが静子の呪縛だった、ということはないか?
前述したが、静子による静一を縛る言葉の全ては静一の頭の中だけで展開している。
もしそうなら屈折した形ではあるが、ひとまず静一は生きようとしているのかなと思える。
しかし高架橋に立つ静一の歪み切った心象風景から読み取れる、あまりにも不安定な精神状態を見ていると、その先行きはあまりにも暗い。
果たして今後、静一が一瞬でも人生で幸せを感じられる日が来るのだろうか。これが人を殺めてしまった人間の背負う罰であり業なのか。
そして、ラストでようやく今回の話のタイトルである電話がかかってきた。
知らない番号からの着信……。
03から始まる番号は東京の市外局番で、携帯電話からではないことはわかる。
タイトルを見た時から感じていたが、これはまさか静子からの電話なのか?
携帯電話からではなく、固定電話からかける可能性もある。
もし静子ではないとしたら誰だろう……。
もう保護観察的な期間はとっくに終わっているから保護司関係ではないだろうし、現実的なところでは仕事関係になってくると思うんだけど……。
さすがに吹石は無い。わざわざ静一の番号を知っている人を探してまで静一に連絡をとる理由が無いし、そもそも今の静一は父と仕事場以外の交流が皆無に見えるから、静一の番号を知る友人知人もいないと考えられる。
超大穴で伯母か、伯母の夫か? 息子を殺めた犯人と接触をとろうとするケースなんて想像できないが、20年以上経過して一郎の死をきっかけにすることなんてあるのかな……。
果たして誰からの電話なのか。次回が楽しみだ。
以上、血の轍第120話のネタバレを含む感想と考察でした。
第121話に続きます。
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