第114話 手
第113話のおさらい
ICUを出た静一は、別室で医者の話を聞いていた。
腸穿孔で敗血症のような危険な状態に陥る恐れがあると、医師は静一に万が一の時の覚悟を求める。
静一は受付で、入院申込書の設問を見つめる。
自分の名前を書く欄の隣にある「患者との続柄」欄に「子」と書きながら、静一は昔のことを思い出していた。
まず思い出したのは、救護院に一郎が訪ねて来た時のことだった。
「いやあほんと、自然がいっぱいだいなここは。また面会くるからな。」
静一は救護院の窓辺から、遠ざかっていく一郎の姿をじっと見つめていた。
救護院から出た静一。
「静一。今日からここでふたりで暮らすんべぇ。」
ここからやり直すんさと一郎は新しく借りたアパートの部屋の中で静一に笑いかける。
静一は無反応だった。
別の日、静一は保護司との面会に一郎同伴で望む。
保護司から静一の様子はどうかと問われ、一郎は答える。
「高校にもちゃんと行けてますし、大丈夫ですl な。」
こたつに入り、酒を呑む一郎。
風呂上がりの静一に、持っているグラスをに差し出す。
「静一も……ひとくち飲むかい?」
静一は一郎を無視して隣の部屋に向かう。
「……出ていく。」
静一は洗い物をしている一郎に声をかける。
「高校卒業したら東京行く。」
卒業後はうちの事務所で働くという話だったと言う一郎に、静一は、ひとりになりたいと答える。
そして、今まで僕を見て見ぬふりをしてくれて、ありがとうございました、さようならと何の感情もなく挨拶をする静一。
一郎は目を伏せて黙ってしまう。
独り立ち後、街中で静一の携帯電話が鳴る。
留守番電話のメッセージは一郎からのものだった。
一郎は、短くも静一を思いやるシンプルな言葉を残し、また電話する、とメッセージを終える。
夜になり、帰宅を考えた静一は、ナースセンターで看護師に父の意識が戻ったら電話が欲しいと言伝を頼み、病院を後にするのだった。
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回復
スマホのアラームで起床した静一は、一郎がICUで治療を受けている病院に向かい、一郎をじっと見つめて、仕事までの時間を過ごしていた。
日が暮れて、夜勤の時間が近づく。
出勤した静一はいつものように流れて来る大量のパンの前に立ち、ぼうっとそれを見つめていた。
別の日、静一が病院のICUを訪ねると、一郎の意識が戻ったという知らせを受ける。
一郎が移った一般病棟に急ぐ静一。
静一は教わった病室に着くと、ベッドでぼうっと中空を見つめている一郎を発見する。
「……だい…じょうぶ……?」
「ああ……静一……。」、
一郎はベッドの脇に座った静一を見つめて呟く。
「ごめん……な。迷惑…かけて。」
静一は微かに笑みを浮かべて、……いや、と返す。
「静一…お金…現金…俺の家にあるから……」
一郎はぽつぽつと喋り続ける。
「それ…使ってくれ。棚の中に…ある。バッグの…中…鍵……持ってって。」
「もしものときの…ことも…書いてある…から。」
静一は、やめてよ、と呟くがすぐに一郎の依頼を了承する。
「わかった…明日持ってくるから。」
何か欲しいものはあるかという静一の問いかけに、頭を振って不要と伝える一郎。
しかしすぐに、いや、そうだな……と言って、なにか本を持ってきてくれと続ける。
うん、わかったと静一は了承する。
手を繋ぐ
静一は別の部屋で医者の話を聞いていた。
予断を許さない状況だが、このまま様子を見ると医師は静一に伝える。
その言葉に対し、わかりました、ありがとうございますと返す静一。
静一は医師の部屋から出て、一郎の元に向かう。
「……お父さん。」
静一は一郎に声をかける。
しかし一郎は寝息を立てて眠っていた。
「じゃあ僕……一旦帰るから。」
そう言って、静一は眠る一郎をじっと見つめてから病室を後にしようと歩き出す。
「…静一。」
静一は振り返り、一郎に視線を送る。
一郎は寝たまま、手首にタグを巻いてある右手を持ち上げて静一に向けている。
「手…を……手を…くれ…」
静一はゆっくりと一郎に近づき、言われるがままに一郎に向けて右手を差し出す。
互いの右手を繋ぎ合う一郎と静一。
こう? と静一が訊ねる。
一郎はベッドに身体を横たえたまま、静一をじっと見つめていたかと思うと、口を開く。
「申し訳………なかったな……」
何が? と返す静一。
しかし一郎は目を閉じ、もう一度呟く。
「……申し訳……なかった……」
一郎の手から、静一の手が離れていく。
「じゃあ……また明日来るね。」
そう言って、静一は一郎の病室を後にするのだった。
夜勤をこなした翌朝、帰宅した静一は布団の上にうつ伏せに身体を投げ出し、目を閉じて、ふう、と一息つく。
ピルルルル
静一は音に反応して目を開く。
起き上がり、ポケットに入れていたスマホを手に取って、電話に出る。
「はい……もしもし……」
静一は電話先の声に、はい、と相槌を打っていた。
「お父様の容態が…」
突然の容態の急変を告げられ、驚愕した様子でただただ呆然とする静一。
感想
一郎の運命は?
ああ……。せっかく意識を取り戻したというのに……。
帰り際の静一に手を繋ぐことを求め、「申し訳なかった」と謝る様子から、一郎にはこうなる予感があったのかもしれないと感じた。自分の命は尽きる。だからその前に、静一に本当に伝えておきたいことを伝えようとしたのではないか。
意識を取り戻してすぐに容体悪化となってしまったが、最期に静一に自分の気持ちを伝えることが出来て安心して、一郎の身体が休息を求めたということもあるのかな……。
「申し訳なかった」
これは、やはり当時中学生の静一が吃音を発症するほどに強いストレスを受けていたことに早くから気付き、対処できなかったことに対する後悔からくる謝罪なのだろうか。
夏の山登り以降、静一の様子が明らかにおかしかったことに一郎は気づいていたはずだが、一郎は特に静一に何があったか話を聞こうとはしなかった。
一郎には、静一が犯罪を犯すほど追い込まれてしまったことに対する罪悪感があったのではないか。あるいは、自分がどこかのタイミングで静一の話を聞いてやれば、まだ中学生だった静一が、その後の人生を大きく狂わせるようなことはなかったのではないかとずっと後悔していたのかもしれない。
どうあれ、一郎の様子を見ていると、静一の人生が狂ったことに対する罪悪感と責任を感じているように見える。施設を出た後の精神が荒廃した静一をずっと見捨てず、粘り強く向き合い続けたのは、静一が施設にいる間に、静一を絶対に守ると誓ったからなのかなと想像した。施設を出た後、同居中の静一との会話で、一郎が明るい気分になったことはまずなかっただろう。一郎は、一向に心を開かない静一との会話で、虚しい思いに囚われてしまったこともあったのではないかと想像する。しかしそれでも決して見捨てず、静一が家を出るまで守り続けた。親として、静子とは比べ物にならないほど立派だ。
現状において、静一の唯一と言って良いであろう味方の一郎がいなくなることで、静一の人生はぐっと厳しさを増すように思う。結婚はおろか、友人を持つことすら諦めている静一はいよいよ孤独になってしまう。
いくら悟ったようなフリをしてみても、いざその現実に直面した時、さぞかし寂しく、辛い思いをすることになるのではないか。
少なくとも自分は、静一の立場に立つことをただ想像するだけで辛い。静一は果たして今の仕事と生活で、ずっと生きていくことが出来るのだろうか。ふとした瞬間に想像を絶する焦燥感、絶望感に襲われそうだ。
いくら少年時代に決して取り返しのつかない犯罪を犯してしまい、それに絶望していたとしても、天涯孤独となったと自覚することは、それとはまた違った種類の精神的ダメージになるのではないかと思う。
ただでさえ幸の薄い静一の人生が、さらに厳しくなっていくんだろうなと予測出来てしまう。
一郎の静一への愛
意識を取り戻して一郎が、静一と顔を合わせてすぐお金の話をした。それは、入院治療費で金銭面で静一に負担をかけないためだ。バッグに入れておいたというのは、常日頃からこういう事態に備えていたということだろう。
それに、静一の仕事は深夜勤務とはいえ、同年代と比べてそこまで稼ぎが良いとは思えない。一郎はその点も心配でならなかったのかもしれない。
一郎が用意していたお金は、静一への愛が形を成したものと言っても良いと思う。静一を心底思いやる一郎の気持ちが静一に真っ直ぐ伝わり、「自分は確かに愛されているのだ」という実感が静一の今後の人生を生き抜くための心の支えになれば良いのだが……。
もし一郎が亡くなってしまったなら、葬儀が執り行われる。
ひょっとして葬儀の場で、静一と静子が再会するという流れなのか?
以上、血の轍第104話のネタバレを含む感想と考察でした。
第105話に続きます。
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