第97話 視線
第96話のおさらい
静一は静子の事件の時からの付き合いの係長から取り調べを受けていた。
しげるが一人で静一の家に来たのかと問われ、静一はその通りだと答える。
そして静一は、あの日のしげるや自分のことを正直に説明していく。
「しげる君は、どんな様子だった?」
係長から問われ、静一は鉄格子越しの空を見つめて、微かに口元を綻ばせる。
「みて。そと…まっしろ…」
その時、取り調べ室のドアをノックして、眼鏡でスーツの男性が係長を呼ぶ。
部屋の外に出て、間もなく戻って来ると、係長は静一にしげるが死んだことを告げる。
「じゃあ…しげちゃんは、死んじゃってたん?」
静一は係長にそう確認してほっとした様子を見せる。
「………………そうだ。」
「………………そっか………」
そして自分で納得した様子で、明らかに穏やかな表情になる静一。
「ちゃんと………死んだんだ……よかった……ちゃんと死ねて………」
それはどういう意味か、お母さんの代わりにやったと係長に訊ねられた静一は、ぽかんとした表情を係長に向けていた。
そしてやがて、ちがう、と一言。
静一はあくまで自分が殺したくて殺した、ちゃんと死んでよかった、と説明するのだった。
夜。
警察署内の宿直責任者室に通された静一は、女性職員と正座で向き合っていた。
その様子を、二人の刑事が監視している。
女性職員から、お弁当か、それともおにぎりがいいかと訊ねられて、静一はおにぎりを選択する。
就寝した静一。
夢の中で、静一の身体に無数の蝶がとまっていく。
眠り続ける静一の口に一匹の蝶が侵入していく。
第97話 視線
裁判所
黒いスーツを着た女性警官が布団で横になっている静一に簡素なメニューの朝食を運んでくる。
「食べ終わったら、出発するから準備して。」
まだ呆けていた静一に女性警官は続ける。
「今日はこれから、前橋の裁判所へ行くからね。」
食事を終えて、静一は複数の警官に囲まれた状態で廊下を歩く。
行く先では二人の警官が車のドアを開けて静一を待ち構えていた。
車の乗降をする部分はマスコミ対策のためにブルーシートで覆ってある。
静一は車の右の後部座席に座っていた。横と後の窓にはブラインドが降りている。
出発前、男性警官が静一にコートを頭に被るよう指示する。
言われたままにコートのフードを被る静一。
車の外では大勢のカメラマンが静一の姿を写真や映像に収めようとごった返していた。
静一はその様子を、特に何の感情もなく見つめていたが、間もなく俯き、自分の手をや足だけを視界に収めていた。
裁判所に到着し、通された部屋で裁判官が静一に座るよう指示する。
「名前と、生年月日を言いなさい。」
静一は素直に、淡々と答える。
「長部静一…一九八一年三月十九日……」
「君は平成七年二月十日未明………」
裁判官は静一の非行事実を読み上げていく。
「……そしてしげる君を柵の向こうの崖下へ突き落とし、そのまま放置して帰宅した。以上。読み上げた事実に間違いありませんか?」
裁判官が俯いたまま何も答えない静一に対し、静一君、と呼びかけ返事を促す。
間違いありません、と認めた静一を確認して、裁判官が続ける。
「では君を、前橋少年鑑別所へ送致する。」
この後、静一は少年鑑別所に入り、処分が決まるまでの間に鑑別所の一室で自分を見つめ直すようにと説明するのだった。
収監
鑑別所に到着し、車を降りると、黒スーツの職員が待ち受けていた。
廊下を歩き、通された部屋には体重計や身長測定器があり、一人の黒スーツの男性が座っている。
男性は静一に氏名と、生年月日の口述を求め、静一はそれに素直に応える。
「はい。じゃあ服を脱いで。」
呆然と男性の顔を見つめる静一に、男性は再び命令する。
「全部脱いで、全裸になって。」
「……………え?」
思いもよらぬ命令に、静一はきょとんとするのみ。
「身体検査だから。」
観念して静一は服を脱いでいく。
複数の男性の視線が集中する中で、静一は全裸でチェックを受ける。
「持ち上げて。」
男性は静一の股間を指さす。
何を言っているのか理解できない様子の静一に再び男性が命令する。
「そこ、持ち上げて。」
言われたとおりにする静一。
その目からは生気が失われていた。
「よし。じゃあ今度はうしろ。うしろむいて前かがみになって。」
前屈した状態で肛門を見られる静一。
見られている間、静一は屈辱に耐えていた。
「はいいいよ。じゃあ机の上の服に着替えて。」
用意されたジャージのような服に着替えた静一は、再び男性に囲まれて廊下を歩く。
「ここだよ。入って。」
そこは4畳の広さの部屋だった。
手前から、布団、机、棚が置かれ、最も奥には洋式便器と洗面台が備え付けられている。
静一の視線は奥の便器に集中していた。
「座って。ここの生活について説明するかんな。」
ここまで静一を先導してきた黒スーツの男性が説明を始める。
「洗面台は自由に使っていいよ。タオルは壁の棚の下にかけて。トイレは使うときだけカーテン閉めていい。布団は…」
部屋の壁には朝7時起床から夜21時就寝までの一日のスケジュールが書かれた紙が掲示されている。
「…じゃあそんな感じだな。詳しいことはこのしおりに書いてあっから。」
男性は、時間ある時読んどいて、と生活のしおりとかかれた冊子を差し出す。
「わかんねぇことはその都度教えっから。じゃ…じきに昼ご飯来っから。」
そう言って男性は出ていく。
部屋に一人残された静一はちょこんと正座したまま、ただただ呆然としていた。
感想
静一は自分の罪と向き合えるのか?
少年犯罪でもこんな感じで手続きが進んでいくのか。
前回の警察署の空いている一室で一夜を明かしたくだりでも感じたけど、とてもリアリティを感じる。
きっと押見先生は、きちんと現場に足を運んで取材したんだろうな……。
特に新鮮でリアリティを感じた描写は、裁判所への移送される前、起床直後のシーン。起きたばかりの静一に女性警官が用意した簡素なご飯。そして食べ終わったらすぐに移送が開始されるという、ゆっくりできない感じ……。
ただ単にその後のスケジュールがそのように決まっているということなんだろうけど、決してお客さまではないという自覚を持たせる副次的な効果もあるように思う。
あと他にリアリティと新鮮さを感じたのは、車に乗り込む場所で警察官が二人で静一を待ち構えていて、マスコミ対策のために乗降部をブルーシートで覆ってあるコマかな。
マスコミの視点から見ることはよくある。あと犯罪の容疑者の視点からもフィクションでは比較的よく見ていると思う。でも今回の描写からなぜか新鮮な印象を受けているのは何故だろう……。考えたんだけど、思いつかない。多分ディティールが細かいんだと思う。ブルーシートの張り方とか、待ち構えている警察官の服装、表情などの佇まいとか……。
正直、もう少し前回のような、言ってみればもっと丁重な扱いが続くんじゃないかと思ったんだけど、やはり裁判所も鑑別所も甘くないなと感じた。静一に自分がとりかえしのつかないことをやってしまったという現実を突きつけるには十分なインパクトだったようだ。
裁判所でのやりとりもそうだし、特に全裸チェックは未成年犯罪者でもやるんだ……。
これは陰部に何かを隠し持っていないかを確認するためだったかと思うけど、自分が犯罪者なんだと強く自覚させる効果もあるんだろうなぁと思った。
こんな屈辱は普通に生きていたらそうそう味わうことはない。
鑑別所に行っていたことを武勇伝にするような悲しい人というのが、この世の中には少数いる。それは滑稽で、悲しい事だとずっと思っていたけど、今回の話でその思いはより強まった。少なくともそんなの一切自慢にならない。
やはり全裸でのチェックで静一の反応が明らかに変わった。まだどこか現実ではないような感じだった静一の目が、それを機に一気に覚めていく様子がよく伝わってきた。一気に現実と直面した感じ。
今回の話の冒頭の静一と、ラストのページの静一の表情の違いが素晴らしい。
寝起きということもあるけど、自分が犯罪者であるという実感に乏しい感じだった。
しかし鑑別所に収容されて畳の上で呆然と正座している静一には明らかにその自覚が芽生え始めていた。
前回、静一は自分の罪を告白した。しかし自分が大変なことをやってしまったという自覚はしているようで、していなかった。
それが今回、鑑別所に入れられて目が覚めつつある。
ここから静一は自分の罪と向き合うのか……。
次回以降で、ひょっとしたら取り乱すようになるのではないか。
少なくとも自分だったら泣くと思う。自由に移動できるのは自分の部屋の中のみ。一日のスケジュールが決まっており、自由が一気に制限される。朝もうちょっと寝ていたい、あるいは夜起きていたいと思っても、それはもうできない。だめだ。自分ならこんな境遇耐えられない。
少年鑑別所で過ごす日々を通じて、静一がどう自分の罪と向き合っていくのか、その様子がどう描写されるのかに期待したい。
以上、血の轍第97話のネタバレを含む感想と考察でした。
第98話に続きます。
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