第35話 彼女の部屋
第34話のおさらい
静子が帰っていった後、暫くしてから草叢から広場に出た静一と吹石。
周囲に静子がいないかどうか警戒しながら、ベンチに置いたままだったリュックを背負う。
「あのお母さん、こわい。」
吹石から静子への恐怖をストレートに伝えられ、静一は思わず吹石を横目で見つめ返す。
あのお母さんといたらおかしくなる、と吹石は静一に逃げる事を勧めるのだった。
静一は戸惑いながら、吹石に、どうやって逃げるのかと問いかける。
吹石はその質問に答えず、静一を真剣な目で見つめて畳みかけるように問いかける。
「あのお母さん、何なん? 何があったん? 前からずっとああなん?」
その質問に静一は思わず言葉を失っていた。しかし吹石から視線を逸らすことなく、前は違った、とぽつりぽつりと答え始める。
答えながら、静一の脳裏には自分がこれまでに接してきた母親の、自分に向けた愛情に満ちた表情が次々に浮かんでいく。
最後に思い浮かんだのは、静子がかつて猫の死体を前にした時、しげるを突き落とした後、そしてついさきほど自分と吹石の前で浮かべた”あの微笑”だった。
その際の静子の異様な迫力を感じさせる目を思い出し、静一は、前は違った、という先ほどの言葉を否定し、前から同じだったかもと思い直す。
そして静一は、わからない、と苦しそうな表情で繰り返す。
しかし吹石はそんな静一に、わからなくたっていい、と優しく呼びかける。
「お母さんがいなくたって、生きていけるよ。」
吹石は、自分の頭の中で母を捨てた、と静一にかつて見せなかったような表情を見せる。
それを見て、静一は驚きに目を見開く。
「行ご。」
吹石はそんな静一の目をみつめたまま、彼の右肩と右胸に両手をそっと置く。
呆然としている静一に、吹石は、私んち、と続ける。
自分の部屋は外から入れるし、父と祖母は部屋に入って来ないと言う吹石。
「泊めてあげる。」
でも、と戸惑いを見せる静一に吹石は笑顔を浮かべて、家になんか帰らなくていいよ、と優しく静一に呼びかけて静一の手をそっと握る。
「行ご。」
静一は吹石に手を引かれるまま彼女の後をついていく。
吹石の自宅に到着した二人は吹石の先導で家の裏に続く細い道を歩いていく。
あそこ、と二階の自分の部屋を指さす吹石。
家の二階の部屋と、そこまで上がる為の外階段がある。
中に入って呼ぶから、ここで待ってて、と吹石はさっき来た道を戻り玄関から家の中に入ってく。
吹石を見送った後、静一はしゃがんで物思いに耽っていた。
静子の後姿を想いながら、さきほど自分が静子に投げかけた言葉を反芻する。
(あっちいけ! おまえなんかいらない!!)
それに続いて、吹石から言われた言葉を思い出す。
(私はお母さん 捨てたから。)
「…捨てる…」
呆然としたまま、静一はぽつりと呟く。
「長部!」
二階から吹石が響き、静一は気を取り戻す。
二階の扉の前で吹石が静一に手招きをしている。
静一はそれに従い、静かに階段を上がっていく。
吹石に笑顔で自室に招き入れられた静一は、部屋に充満する吹石の匂いにうっとりとする。
「今日は、ずっと一緒にいられるね。」
吹石は顔は紅く染めて、照れたような笑顔を浮かべて静一に振り向く。
静一もまた頬を染め、吹石を見つめ返すのだった。
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第35話 彼女の部屋
おにぎり
静一は吹石の部屋を見回す。
部屋中に充満する吹石の匂いに包まれ、静一は一人部屋の中央で体育座りをしている。
「……ふう…」
吹石の匂いに酩酊しているように頬を紅潮させ、一つ、軽くため息をつく。
ドアの方から、とてとて、と階段を上がる音が近付いてくるのに気付く静一。
静一がドアに注目していると、吹石が開けて入ってくる。
「お父さん、飲みに行ったい。」
体育座りしている静一の前に笑顔で立つ吹石。
「おばあちゃんももう寝ちゃうから。だいじょうぶ。」
はい、とおにぎりが三つ乗っている皿を静一に差し出す。
「つくってきた。おなかすいたんべ。食べて。」
「…あ…ありがとう…」
頬を紅潮させたまま、礼を言う静一。
おにぎりを一つ手に取り、一口食べる。
「どう?」
静一の前に腰を下ろした吹石が、咀嚼している静一に訊ねる。
「お…おいしい…!」
静一は表情を輝かせる。
「ん! むぐ…おいしい!」
手元のおにぎりを見つめる。
「…かわいい。」
静一をじっと見つめていた吹石がぽそ、と呟く。
その呟きに反応し、静一が吹石に視線を向けると、吹石は笑顔で続ける。
「かわいいね。長部。」
「……」
静一は目を伏せ、黙ってしまう。
正座している静一の右膝には吹石の左手が置かれていた。
音楽
ラジカセから音楽が流れる。
静一は吹石が見ている歌詞カードを覗くようにして見つめている。
「これ 一番好きな曲なんだ。知ってる?」
吹石からの問いかけに静一は、ううん、と答える
「音楽とか…あんまり聞いたことなかったから。」
軽快な音楽が鳴り続ける中、二人は頬を染めながら会話を続ける。
「…どう?」
「うん…いい曲だね…」
「ふふっ」
吹石は歌詞カードから視線を静一に移す。
「ね!」
顔を真っ赤にして楽しそうに笑う。
静一はそんな吹石の顔を見つめる。
「あ。」
吹石は置時計が10時10分を示している事に気付く。
「もう10時だ。私 お風呂入ってくるね。」
「長部はどうする? お風呂入る?」
「え…」
突然の質問に戸惑う静一。
「あ…いや…もし見つかったらヤバイし…いいよ。」
そうだよね、と吹石。
立ち上がり、ドアを開いて肩越しに静一に視線を送る。
「じゃあ…私 入ってくる。待ってて。」
無言で頷く静一。
吹石がドアを閉じ、部屋には再び静寂が訪れる。
湯上り
静一はCDのジャケットをぼうっと見つめていた。
時計のカチコチという稼働音だけが部屋に響いている。
ふと目を上げると、静一はカーテンに目を留める。
立ち上がり、カーテンを開けて窓の外を見つめる。
強い風がビュウウ、と音を立てる。
遠くには教会が見える。
ぼうっと二階の窓からの風景を眺めていると、背後でドアが開ける音が聞こえる。
静一が振り向くと、そこにはパーカーに短パン姿で、まだ髪が乾ききっていない湯上りの吹石がいた。
「なに見てたん?」
「…あ…いや…べつに…」
寝場所
「…じゃあ、そろそろ、ねようか。」
吹石はほんの少し小首を傾げ、静一を真っ直ぐ見据える。
「どこでねる?」
「…あ…」
思わず目を伏せる静一。
「じゃあ…ここで、床で…いいよ。」
互いに向かい合う二人。しかし二人とも目線は床にある。
少しの間を置いて、吹石が答える。
「でも、そこだともし お父さんが入ってきたとき、すぐ見つかっちゃうから…」
「…そっ、そう……だね…」
「…じゃあ、いっしょにねない?」
静一は顔を上げて吹石を見つめる。
吹石は顔を真っ赤に染め、伏し目がちになりながらも続ける。
「ベッドで、いっしょにねよっか。」
静一の心音がドクンと一気に高鳴る。
暴れ出す心臓の拍動。
「え…………あ…」
静一は答えに窮し、再び視線を床に落とす。
カチン
吹石が紐を引っ張って照明を落とすと、部屋は一気に闇に包まれる。
暗がりの中、吹石はベッドに移動して布団の中に入っていく。
ベッドの僅かな軋みや布団の衣擦れの音が静寂を冒す。
その様子をただただ目を見開いて見つめ続ける静一。
吹石は枕に頭を乗せ、横になったまま静一をじっと見上げている。
再び静一の心音が高鳴り始める。
静一は握り締めた拳を腿にあてたまま、その場に立ち尽くしていた。
「…どうぞ。」
そんな静一を吹石がベッドに誘う。
感想
クッッッッッソ羨ましい
ここで終わり!
しかも再開は1か月後!!
生殺しもいいとこだなあ。
泊まるとなると、当然どこに寝るかという話になる。
大体は床で寝るか、もしくは同衾するかの二通りしか選択肢はなく、後者の展開となったことはある意味一つの予想通りの展開ではあった。
でも実際描かれると衝撃的だわ。
湯上り吹石のなんという艶めかしさ。
この描き方はさすが。押見先生すげーわ。
静一はただただ戸惑うだけ。完全に捕食される側になってる(笑)。
やはり中学生くらいの歳だと女の子の方が遥かに大人だよね。
これはマジで静一がただただクソ羨ましい。
この後、特に何もなかったとしても静一は今後の人生でこの時の事を鮮明に思い出すのだろう。「にちようび」を聞いても思い出すんだろうな。
というか、これでこの後、何事もなかったでーす! とかあり得るのか……?
だって吹石がメチャクチャやる気じゃん。モロ誘ってんじゃん。
静一に断れるわけないじゃん。その理由がないじゃん。
まあ、惡の華でも中学生同士の、色々衝撃的なシーンを描いていたし、何も無いということは無いでしょう……。
元々この二人は既に会話中からエロい雰囲気出してたし、本能に抗うことなんて無理無理。
いやー、でもまさか”そういうこと”になって、はっきり書いちゃうけど、妊娠云々は無いよね……。
それだといよいよマジでとんでもない話になってきちゃうんだけど……。
ただでさえ、ある意味で覚醒モード入っちゃってる静子が、息子が同級生の女の子に”手籠め”にされたなんてことを知ったら……。
今回の話は終始ホワホワしてた。けど、それはこの先の話の”飛躍”に向けての助走に過ぎないことは分かり切っている。
自分の大切な静一に脅威を与えたと静子が認識した対象であるしげるは、一体どんな目にあっただろう。
静子に静一との逢瀬を目撃された吹石は、正直なとこ命が危ない気がしてならない。
しげるの事件の静子に関しては、正直、魔が差したという側面も多分にあったと思う。
しかし吹石に関しては、吹石を排除することは静一の為と確信し、迷いなく事を為す方向に向かうのではないか。
静一と吹石の幸せな時間はもう、この夜を最後にこの先訪れることはない気がしてならない。
そもそも静子の事がなくても、吹石が両親と仲が良くても、中学生の二人が、どう考えてもこのまま幸せな空間を守り続けることなんて出来ない。
だからこそ、今回の話には羨ましいのと同時に儚さも感じる。
これ以降の二人は?
これどうなっちゃうんだろう……。
この先、ずっと泊まり続けることなんて出来ないし、そもそもこの夜も見つからず無事に一夜明けるかどうか。
中学生が深夜になっても帰ってこないことに関して、当事者の静子はともかくとして少なくとも一郎は気が気ではないはずなんだよなあ。
あの状態の静子が一郎に事の詳細をどの程度まで話せるか。
そもそも静子が全てを一郎に詳らかにしたところで、一郎が静一を探さない、なんてことには決してならない。
一郎は今頃、警察に行っているかも。
それとも静子が最後に静一を見た時に、一緒に吹石がいたということから吹石家に行っていると冷静に推理し、吹石家の住所を調べた上でそこに向かっているとか?
もしそうならちょっと見直すんだけど……。
この時代なら連絡網に住所とか書いてあったりしたかなあ? 少なくとも電話番号に関してはクラスの生徒の分は一枚のプリントにまとめてあって、すぐ分かるような気がする。
何にせよ、このまま静一が吹石の部屋に泊まり続けられることは絶対にあり得ない。
この35話において終始展開している静一と吹石との幸せな空気は周囲の大人たちによって必ず破壊されるんだなあと思うと、前述したけど、それはあまりに儚い。
この一夜を機に、二人は接触禁止となってしまうかもね……。
今が二人のカップルとしての幸せのピークなのか。
この夜以降、静一と吹石はこの曲を聞く度にこの夜のことを思い出すのかな。
なんとも切なくなってくる。
果たしてこの二人に平穏が訪れる未来はあるのか。
以上、血の轍第35話のネタバレを含む感想と考察でした。
第36話に続きます。
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