第19話 返事
第18話のおさらい
自分に向けて掌が向かってくる夢にうなされる静一。
いつものように静子に起こされて居間に向かうと、一郎がテレビを見ている。
静一が定位置に座っても挨拶はおろか視線すら向けない。
静子はいつもと全く変わらず静一に肉まんかあんまんかを問いかける。
吃音で言葉に詰まりながら答えようとする静一。
一郎は静一を見ず、何も言わない。
登校するために玄関を出ようとする静一を静子が呼び止める。
「大丈夫ね。気を付けて。」
どこか意味深な表情で静一に語り掛ける静子。
静一は黙って静子を見つめる。
通学を行く静一の背中に背負ったバッグに体当たりをかます同じクラスの小倉。
その後ろには比留間と酒井もいる。
小倉から、宿題は終わったか、と明るく話しかけられる静一。
静一は何とか小倉に返事をしようとするが、吃音の症状がひどく、それを小倉に冗談だと解釈されて笑われる。
背後の二人もつられて笑い、静一も静かに笑みを浮かべる。
そうしてひとまずその場を凌ぐ静一。
始業式を終え、教室では担任の教師が日直に帰りの号令を促す。
日直による号令と同時に素早く教室を去る静一。
小倉は静一と一緒に帰ろうと静一を捜すが姿が見当たらない。
吹石だけが、静一が号令の後、一目散に教室を出て行ったのを見送っていた。
全力疾走で帰り道を走る静一は躓いて全身を道路に投げ出すくらいに転んでしまう。
激しく息をつきながら体を起こそうとする静一の肩に手が置かれる。
「…大丈夫?」
吹石が心配そうに静一を覗き込んでいる。
血は出ていないかと吹石は静一に膝を見せるように促す。
ズボンを膝上までまくると擦りむいた傷跡が露出する。
吹石はポケットからハンカチを取り出して傷口にぎゅっと押し当てる。
静一は自分の膝にハンカチ越しに手を押し当ててくれている吹石をじっと見つめる。
しばらく沈黙が続き、吹石が切り出す。
「手紙…読んでくれた?」
吹石は頬を染めて静一を見つめる。
静一の額から汗が流れ落ちる。
第18話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。
第19話 返事
静一の返事に吹石は何かを察する
吹石に手紙を読んだかと問われた静一。
一瞬の間を置いて、ぎこちなく答える。
「…う…ん。」
「…返事、きいてもいい…?」
吹石は静一の目を真っ直ぐ見て静かに訊ねる。
静一は地面に着いていた手を握り、声を出そうと口を開く。
握った手をさらに固く握りしめると、吹石から顔を逸らして口を大きく開く。
静一の奇異な行動をじっと見つめている吹石。
吹石から顔を逸らし、口を大きく開けたまま静止する静一。
二人の間に一瞬、しかし時間が止まってしまったような間の後。
「ごっ」
詰まっていた物がとれたように静一の口から声が出る。
「ごめん…」
吹石を見ない静一を、吹石はじっと見つめている。
「…どうして?」
ショックを受ける様子も無く、落ち着いた様子で静一に問いかける。
静一は吹石のいる方向に俯き加減にではあるが顔を向ける。
口を開く。
「まっ」
「まっまっまっまっまっ」
吹石は吃る静一をじっと見つめている。
「まっ」
「ママが…いるから。」
両眼から溢れる涙を拭いもせずに静一が答える。
突如、静一は膝をハンカチで押さえている吹石の手を振り切るように勢いよく立ち上がって走り始める。
吹石はすぐさま静一に反応し、立ち上がって静一の左腕を掴む。
「まって。」
「…どういうこと?」
静一の顔を見て静かに問いかける吹石。
「ママがいるからって…」
静一は吹石を見ない。
正面を向いたまま、見開いた目から涙が溢れるままにしている。
「その…どもるの…何なん?」
静一の左腕を両手で掴んだまま、吹石は問いかけ続ける。
静一は吹石と目を合わせる事無く、黙ったまま俯いている。
そんな静一を後ろからじっと見つめる吹石。
「…お母さんに、何かひどいことされてるん?」
何かを察したように訊ねてきた吹石の言葉に静一が驚いた様な表情で振り向く。
吹石の手を振り切って再び駆け出す静一。
「長部!」
吹石が駆けてゆく静一に向かって叫ぶ。
そして吹石は、小さくなっていく静一の背中を見つめたままその場に立ち尽くす。
言い争い
静一は息を整えながら歩き、自宅に到着する。
玄関のドアノブに手をかけようとした時。
「…んで……たよ…!」
中から聞こえてくる言い争いの気配に気付く。
「で…がら…ったな!」
「っきゃ…い……がん!」
玄関に立ち尽くしたまま静一は父と母が言い争っている事を悟り、ドアノブに伸ばしていた手を引っ込める。
そして、家の裏にまわる通路を歩き始める。
ジャリ、ジャリと砂利を踏みしめながら進む。
「がうって…オレは…」
「…にが!? …ってゆん!?」
父と母が言い争っている声が徐々に鮮明になっていく。
「あ!? た…」
二人が居間にいることを確信し、気配を消して窓ガラスに近づいていく。
窓ガラスから部屋の中を覗く。
「だから!!」
「一回来た方がいいって言ってるだけだがね!?」
椅子に座っている一郎は、目の前で立っている静子と目を合わせずに声を荒らげる。
「心配してんだよ みんな!!」
「…わかるけどさ! ママの気持ちも。」
「でも気になんてしてないからみんな!」
カーテンの陰に身を隠し、静一は二人のやりとりを窓ガラス越しにじっと見つめる。
「このまま…しげるがダメだったら…!」
静一に背を向けて立ったまま、一郎を真っ直ぐ見下ろしている静子。
「黙って!! うるさいっ!!」
静子は大声で一郎を一喝する。
両親の口論をじっと見つめる静一。
「…あ!? うるさいって何だ!?」
一郎がケンカ腰で静子に問いかける。
「私は、行きたくないの!!」
静一からは叫ぶ静子の表情は見えない。
「会いたくないの!! あんな人達に!!」
静子は下ろしている手を握りしめている。
グズッ、と鼻を啜る様子から、静子が泣いているのがわかる。
「ひとりぼっち。私はひとりぼっち。」
静一は静子の横顔に注目する。
目から涙が流れていく。
「静一が生まれてから、ずーっとひとりぼっち。」
天を仰ぎながら呟く静子。
一郎は静子の顔を眉を顰めながら見上げる。
静一は、衝撃的な本音を漏らした静子から顔をそらし、どこともなく一点をじっと見つめている。
感想
カラーページが美しい。
単行本に収録されるかは分からないから雑誌で確認するべきだと思う。
公式ツイッターで言及されてたけど、単行本には収録されないらしい。
本屋でも電子でも良いのでぜひ一度チェックを。
色遣いが繊細で好きです。
冷静な吹石
吹石は静一の吃音をバカにして離れていくような短絡的な女の子ではなかった。
それどころか静一の吃音の原因が母によって齎されたのではないかという、真相に最も近い見解を持つに至った。
聡明な女の子、というよりもこれはもう女の勘だと思う。
そりゃそうか。相手は初めて好きになった男の子だもんなぁ……。
少しくらい様子がおかしい程度では好きという気持ちはびくともしないだろう。
返って心配になって色々聞きたくなるのが自然か。
手紙の返事を促された静一が、ごめん、と言った時は、吹石は泣くかも? と思ったけど、そんなことは全くなかった。
吹石の静一への好意は安定している。
昨日今日惚れた浮ついた状態で告白していたら、きっと静一の断りを真に受けてショックを受けて取り乱していたかもしれない。
冷静に、静一から「ママがいるから」という断りの理由になってるようでなってない異様な言葉を引き出した。
夏休みが空けていきなりの吃音に違和感を持ち、先に静一が述べた「ママがいるから」という一言から静一の様子がおかしい事にはお母さんが関係しているのかも、と自然に思考が繋がっている、
「…お母さんに、何かひどいことされてるん?」
静一に唖然としたような驚愕の表情をさせたこの一言は確実に静一の心を抉った。
今回の話で、吹石の役回りは決まったのかもしれない。
好きな男の子、静一を静子から引き剥がして救う。
そもそも吹石は、夏休みに静一の部屋での静子との初対面時に既に静一と静子の間に流れる不穏な気配を感じ取っていたのか?
少なくとも、静子から快く思われていないとは気づいていると思う。
あの時、部屋で交わされたわずかな会話は表面上は穏やかでごく普通のおばさんの言いそうな言葉でありながら、その実、あれは静子にとって静一にまとわりつく虫でしかない吹石を牽制するための会話だった。
手紙を渡して気まずく感じていた事もあったのかもしれないが、吹石は静子の発する空気を敏感に感じ取っていたのもあって、あの部屋から早々に退散したのかもしれない。
囚われの静一
やはり付き合うと返事は出来なかったか……。
気になっている女の子が自分の事を好きでいてくれて、しかも告白してくれたなら、本来は天にも昇る気持ちで二つ返事で付き合うでしょう。
しかし静一にはそれが出来なかった……。
母を放っておけないし、母にダメだと拒否され、共に手紙を破り捨てたから……。
傍目から見たら強制的に破かれているようにしか見えないけど、静一は自分の意思で母を守る、という気持ちでやっているのかもしれない。
自分の本当の気持ちを圧し潰し、好きな母の望み通りにするというあまりに痛々しい気遣い。
静一は山でしげるを突き落として自分を見失い追い詰められた静子を目の当たりにして以来、自分が守らなくてはならない存在だと固く信じている。
守れなければ自分の元からいなくなってしまうと信じている。
しかし現状、まさか静子の存在こそが自分を苦しめる元凶になっている事に気付いていないし気付こうとしていないように見える。
きっと今後、吹石がそれを気付かせようとするんだろうな。
そしてその動きを敏感に察知していた静子は、山でしげるを手にかけたように、吹石も……。
しげるが長部家を訪ねた第2話のタイトルは「来訪者」であり、夏休みに吹石が長部家を訪ねる第12話のタイトルが「来訪者2」というのは、きっとそういう意味だと思うんだよね……。
静子の本音
いつも静かで穏やかだった静子がその感情を人に向けて剥き出しにしたのは第16話。
一郎に向けて鬱積していた感情をぶちまけるようにまくし立てていたのは、「何がわかる」という言葉だった。
しげるが入院して以来、静子が病院に見舞いに行かなかったのはしげるよりも叔母夫婦や義理の父母に会いたくなかったからだった。
しかしそれにまるで気づかない鈍感な一郎が分かったような様子で静子に対して、安易に理解しているような素振りを見せた為に静子は激昂した。
今回の話でも一郎はそれに全く気付いていなかった。
「わかるけどさ! ママの気持ちも。」
「でも気になんてしてないからみんな!」
これら言葉が静子を追い詰めているのだと気付けていなかった。
そして静子はついに言った。
「会いたくないの!! あんな人達に!!」
やはり静子は叔母夫婦や義理の祖父母が嫌でしょうがなかった。
そして、それを理解せずに、むしろ彼らの肩を持つ一郎にも絶望していた。
だから、「私はひとりぼっち」という後に続く言葉に繋がる。
この発言は何だろう。
すごく重要な本音だと思うんだけど……。
静一が生まれる前は、一郎は静子の味方だったのかなぁ?
子供が生まれるというのは人生においてものすごく大きな変化だ。
殊に、自ら腹を痛めて苦労して産んだ母親にとっては、父親にとっての人生の変化の度合いは比では無いだろう。
まだ確定し切れない部分はあるけど、静子は専業主婦だ。
おそらく静一を身ごもる前か、結婚前までは働いていただろう。
ひとりぼっちというのは、つまりそういうことなのか。
静一を溺愛するのは静一しかいないと思っていたからなのか。
静子の事をきちんと理解するには、やはり過去がキーになるなぁ。
静子の過去が描かれるその時を待ちたい。
以上、血の轍第19話のネタバレを含む感想と考察でした。
第20話の詳細は上記リンクをクリックしてくださいね。あわせてよみたい
押見修造先生のおすすめ作品や経歴をなるべく詳細にまとめました。
血の轍第3集の詳細は以下をクリック。
血の轍第2集の詳細は以下をクリック。
血の轍第1集の詳細は以下をクリック。
なんか悲しいマンガ。
明らかな悪者という立場の登場人物がいない感じがそう思わせる。
それだけに続きが気になり、見ていられないのに読んでしまう。
この重いテーマを扱える画力と作家性を持った作者さんだと思う。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、明確な悪役がいないのがリアルに感じますね。
自分にとって押見先生のマンガは精神的に来るシーンが少なくないので、読んでいて辛い事があります。
しかし漫画が上手で、なおかつ絵も急激に進化してきているので読んじゃうんですよね。
静一が産まれてからっていうセリフから、
ひとりぼっちっていうのはお腹の中にいた子供が産まれて、物理的に一緒だったものが別々になってしまったっていうのも考えられますね〜
お腹に静一がいる間はひとりぼっちじゃないですから。
コメントありがとうございます。
なるほど~。
子供を産まれるまでお腹の中で育てる女性からしたら、そう思っても不思議は無いかもしれませんね。
いわば、お腹の中の赤ちゃんは当然ながら一人の人間であり、絶対に裏切らない自分の一部でもありますよね。
だとすれば、ますます静子はどれだけ孤独を感じていたんだという話になってくるなぁ。
夫であるはずの一郎は、守っていくべき対象である静子に味方とは認識されなかったということなんでしょう。
静子の一郎への告白は、自分の置かれた状況に対して鬱積した不満が爆発しての結果であるように思えます。
その不満が溜まったのは、一郎があまりにも静子に無関心であったり、静子よりも親や姉の味方をしてしまう部分がある為なのか。
それとも単に静子が一郎に求めるものがあまりにも大きすぎたためなのか。
もしくはその両方なのか。
今後、その辺りがクローズアップされていくのではないかと思っています。