第1話
豪雨は殺人事件の痕跡を洗い流す
激しい雨が降り注いでいる。
林に囲まれた戸建ての家。
庭には車が停車していて、玄関は開いている。
玄関から奥へと続く廊下は人が通った跡が水で濡れている。
廊下の突き当りを曲がり、人の足跡は部屋の中に続いている。
廊下を挟んで部屋の前、物置らしき部屋の扉がこじ開けられた形跡がある。
足跡の続いていた部屋の中では、血に塗れた手がある。
13年前、殺人事件の痕跡を朝まで続いた激しい雨が洗い流していた。
事件は新聞各誌によって伝えられる。
「市原市で殺人事件」
「両親死亡」
「双子の兄行方不明」
「弟は救助」
「犯人はどこに消えた」
「双子の兄一登君の衣服見つかる」
「一登君生存絶望」
「捜索7日目」
事件の翌朝に、当時5歳の『弟』が発見される。
散乱した家具。多量の出血が畳に広がっている。
顔面から血を流し、うつ伏せに倒れる父。
腹部が血に塗れ横臥している母。
左肩を押さえ、母の傍らで座り込む『弟』。
『弟』は発見されるまで、泣きじゃくっていた。
依頼
学校。
野球部らしき集団が校庭を集団でランニングしている。
男子便所で手を洗う男子生徒。
水に濡れた手で人差し指と中指を立て、自分の写った鏡に押し付ける。
そして、自分の顔をじっと見つめる。
男子生徒は背後から「中條君」と声をかけられ振り向く。
声をかけてきた板倉という生徒に朝も会ったと前置きし、何か用かと尋ねる。
鼻に絆創膏、顎にガーゼを当てている板倉は中條の話を肯定し、話があると二人は校舎の裏へ。
金を取り返して欲しいという板倉。
中條が過去に金を取り返した実績があると聞いた、と続ける。
中條はそれを否定せず、タダではやらないと即答する。
板倉は中條に「わかってる」と、答え、中條に促されるまま話し出す。
3人組に塾の授業料20万を全て盗られた。
親にも警察にも相談できなかった。
警察に対応してもらってもその報復を受ける事を恐れたという。
中條は板倉に警察は死刑にしてくれる訳じゃないからな、と理解を示すも、全額取り返せない、泣き寝入りすればいい、と突き放す。
板倉は、塾費の納入期限までに1か月分入れないと通えなくなるから、と中條に頼んでいる理由を話す。
納得した中條は取り返した分の半分をくれるならやる、と答える。
了承する板倉に、期待するな、犯人を捜す所からだ、と言う中條。
板倉は奪われた場所、犯人の人相など、知る限りの情報を中條に話す。
板倉は一通り話をしたあと、納得した中條に、仲間はいるのかと問う。
中條は、心配するな、と言って板倉から踵を返し、校舎の裏を歩いていく。
千里と恵南
エアコンの室外機に座っている制服姿の女。
スマホを片手に中條に向けて「千里(センリ)」と声をかける。
千里は女に「恵南(エナン)」と返す。
恵南は、またやるの? いい加減にしなよ、と千里をたしなめる。
千里は、ウルセーな、金はいくらあってもいいんだ、とぶっきらぼうに答える。
恵南は、バイトで貯めれば、と提案するが、千里は、首になったと答える。
「ウソ! 2~3日しかやってないじゃん」
ムカつく先輩がいて、という千里に、恵南が「殴ったの?」と問うと黙ったまま否定しない。
「そのうち大ケガするよ」
「…かもな」
千里は、恵南の忠告を特に意に介していない様子で淡々と答える。
「心配して言ってんだけど」
さらに忠告する恵南。
「わかってるよ サンキュ」
千里は恵南から離れていく。
「サンキュじゃねーよ バーカ」
千里は、遠ざかる中條に言い放つ。
仕事
電車の構内アナウンスが響いている。
千里は京成立石駅の改札から下り、道を歩いていた。
足を止めたのは中條青果店。
ただいま、と言って店の横のドアから家の中に入っていく。
おかえり、と迎えたのはおばあさん。
学校はどうだった? と尋ねられ、いつも通り楽しかった、と千里は簡素に答える。
「そうかい そりゃあ良かった」
千里の答えに淡々と答えるおばあさん。
「千里が楽しいのが一番だよ……」
階段を上がろうとする千里。
一瞬、部屋の中の仏壇の前に置かれた二つの位牌が視界に入る。
ギシギシと音を立てて階段を上がっていき、自室で鞄を放る。
着替えて階段を下りていく。
もう出かけるのか? アルバイト? と問われ、千里は、うん、と短く答える。
気をつけてな、と声をかけられ、ドアから出ると祖父が自転車に野菜を積んでいた。
『森天』への配達かと確認し、俺が持って行く、と自分の自転車に載せる千里。
千里は、頼む、という祖父に、ついでだ、気にすんなと答える。
スカイツリーのひざ元で、籠に野菜を積んで自転車を走らせる。
配達を済ませた千里はスマホを見る。
「…さて…と」
千里が着いた場所は『楼蘭(ローラン)』というバーらしき店だった。
店のドアを開けるとソファに座った3人組が千里を睨んでいる。
「金 取り返しに来たぜ」
千里は冷静に、全く表情を変えることなく3人組に声をかける。
そうかい、と立ち上がる3人組。
金髪の坊主が右拳を千里の左頬に打ち下ろす。
千里は、打ち下ろしのパンチを全く防御することなく食らう。
口から出血し、苦痛に喘ぐ千里の脳裏に映像が浮かぶ。
木登りで先に登って千里に向けて手を差し伸べている誰かがいる。
千里はその手を掴むことなく木から落ちていく。
落ちていく途中で一瞬目に映った、塀越しに見えた軽トラックの運転席には誰かが乗っている。
千里は墨田川らしき河川を航行する漁船を一人眺めていた。
弾む息。口元には血が滲んでいる。
自転車を停め、千里は地面にあぐらをかく。
千里はガードレールにもたれて夕日を背景にしたスカイツリーを眺める。
恵南の日常
葛飾区立もみじ園。
賑やかな夕食の時間が流れる。
エナちゃんごちそうさま、と食器を持って立っている女の子。
恵南は食器を洗う手を止めて少女に振り返り、ありがとう、そこ置いといてと笑顔で答える。
はーい、と答える女の子。
子供たちが集まっている部屋では、皆、読書やカードゲームなど、思い思いに楽しんでいる。
恵南はその様子を見ると、頭巾とエプロンを外して廊下を歩く。
職員に笑顔で、おつかれ、と言われ、お疲れさまです、と返す恵南。
恵南は、廊下を走っている男の子――しんのすけを、廊下を走るな、と呼び止める。
顔にケチャップがついていると指摘すると服で拭こうとするしんのすけ。
服でふくな、と恵南に言われ、手で拭くも取れていない。
しんのすけを呼び寄せ、手持ちのふきんで顔を拭ってやる。
「ありがとーエナちゃん」
「どういたしまして」
恵南は、じゃ、と走っていくしんのすけに、だから走るなって! と声を荒げる。
そろそろと歩くしんのすけと、それを見守る恵南。
ふと、傍らのドアを見る恵南。
ドアには「持出禁止」と貼り紙がされている。
ドアを押して中に入るとそこは倉庫らしき部屋で、金属ラックに段ボール箱が置かれている。
段ボールに挟まれるように立てかけられた封筒を手に取る恵南。
封筒の封を解き、中から2枚の紙を取り出す。
上下に分けられている紙を広げ、繋ぐようにして置く。
すると、それは首の辺りで上下に切られた、包丁を構えて正面を見ている何者かの絵だった。
恵南は眉根を寄せて、絵を眺めている。
恵南の追憶
幼い頃を思い出す恵南。
恵南は窓から半分顔を出して、眉根を寄せて部屋の中を見ている。
「千里君」
幼い頃の千里は、窓に背を向けて椅子に座っている。
鋭い目でテーブルに置かれた絵を見ている。
「この絵はしまっちゃいましょう」
テーブルには封筒と、包丁を持った人物が描かれた一枚の絵が置いてある。
「この人は今 千里君の前にいないでしょう?」
カウンセラーらしき女性が笑顔を浮かべて胸の前で手を組んでいる。
「今はこの絵の人の事は忘れましょう」
千里は女性に、ハサミを貸してと静かに言う。
どうぞ、と女性がテーブルの上にはさみを置くと、千里はそれを手に取って絵を真ん中から切り始める。
女性はその様子を見て、偉いと千里の行動を褒める。
恵南は、窓から千里の後ろ姿をジッと見つめる。
ジョキジョキと千里によって絵に入れられるハサミが、包丁を持った何者かの首を切断していく。
「素晴らしいわ 千里君」
女性は、それを切り終えた紙を封筒に入れる。
「あなたは恐怖に打ち克てるわ」
「これは…その第一歩よ」
恵南は幼いながらも異常な空気を感じ取ったのか、部屋から目を逸らして顔を歪めている。
「あなたは今 施設を出て普通の生活に戻る第一歩を踏み出したのよ」
女性は、封筒を胸に抱いて椅子から立ち上がり、笑顔で千里に声をかける。
その声は、部屋から目を背けてその場に立ち尽くす恵南の耳にも入っていく。
依頼完了
学校。
「取り返して来たぜ」
「本当!? 」
屋上にやってきた千里を迎える板倉。
「すごい…!」
13万だけど、とお金を板倉に手渡す千里。
俺に6万よこせ、と続ける。
ありがとう、と受け取った板倉は、千里の口元の傷を見て、大丈夫? と問う。
千里は板倉から踵を返して、どうってことない、じゃあな、と去っていく。
「千里」
昇降口を出た千里を待っていたのは恵南だった。
そんな稼ぎ方はやめろと千里を諫める。
続けて恵南は、ロクな使い方じゃないし、無駄な傷を負って、と心配が根底にある言葉を千里にかける。
「傷か…俺には都合のいい事もあんだよ」
千里は恵南を見ずに続ける。
「まぁぼちぼち別の方法考えるよ」
人の話聞いてんの? と千里に問いかける恵南。
「そんな金…とっととパソコンでも買ってパソコン教室通え!!」
恵南は足を止め、千里の背中に向けて声を荒げる。
恵南に振り向くことなく手を上げて了解の意を示す千里。
じっと千里を見つめる恵南。
道を歩く千里は停車している自動車の窓に映った自分を見つめ、立てた右手の人差し指と中指を窓ガラスに押し付ける。
ついに得た「手がかり」
楼蘭。
千里はドアを開ける。
「……下町の工場を訪れて…」
聞こえてくるテレビのナレーション。
「その技術力を…」
ソファに座った3人組が千里を睨んでいる。
「ハデに殴ってくれたな」
3人組を睨みつける千里。
「おい」
「やっぱ取り分が4・3・3・3はおかしくねぇか?」
3人組のすぐそばに立つ千里。
てめえが言い出しっぺだろうが、と金髪の坊主頭。
文句あんならひとりでやってみろ、とメガネが毒づく。
「千里は金取って被害者に感謝されんだろが」
淡々と続けるメガネ。
「俺達の取り分は『恨まれ代』だ」
さっさと残りの2万よこせ、と言われ、しょうがない、と2万を放る千里。
「……現場の様子をカメラに…」
テレビのアナウンスが聞こえる。
「車椅子って言ってもね」
「個人で使い勝手に差があるでしょ」
何を飲むかと聞かれる千里。
「だから細かくカスタムを…」
テレビのアナウンスは続く。
千里は自分で出すと答えて冷蔵庫からアイスコーヒーを出す。
「全国から技術者を募ってさ」
なんでこんなつまらないものを見てる、と言って、何気なくテレビを見ながらアイスコーヒーのグラスを傾けようとした千里の表情が強張る。
テレビ画面は手前では、工場作業員がマイクを向けられて笑顔でインタビューに答えている。
その奥で機械を使っている作業員の作業着の袖を捲って露わにしている腕にいくつもの縦筋の傷がある。
そして、作業員はまるでその傷を隠すように袖を元に戻す。
テレビに釘付けになっている千里。
じっとテレビを見ている千里にをみつめる金髪の坊主。
「…ま つまんねーよな別んトコに変えるか」
リモコンを構える。
「変えるな!」
千里は、テレビを見たまま鋭く一喝する。
「あ?」
リモコンを構えたまま不快そうに顔を歪める金髪坊主。
「何なんだよてめーはよ」
千里は決してテレビから目を逸らさない。
「おいこれ…ドコだって言ってた?」
知らねーよ、と答える金髪坊主。
舌打ちをし、役立たねぇな、と呟く千里。
「何だとこの野郎」
金髪坊主が立ち上がる。
千里は金髪坊主の方に振り返り、酒瓶を振り上げていた。
金髪坊主は、うわ、と手で顔を守ろうとする。
千里は金髪坊主ではなく、自らの左肩にビンを振り下ろした。
金髪坊主は、左手を顔の前に構えたまま千里を見つめる。
ビンが手から千里の落ちる。
そして、ビンで叩いた自らの左肩に右手で触れる。
脳内に血だらけの部屋、血まみれで倒れる父と母の映像が浮かぶ。
(見つけた)
激しい雨で出来た、地面全体に張られた水溜まりを、バシャバシャと音を立てながら歩く男。
男に腕を掴まれている。
Tシャツを着ている男の露わになった腕には縦筋の傷跡がある。
バシャバシャと雨の中を歩く。
テレビにほんの一瞬映った作業員の腕に刻まれた無数の縦筋の傷。
(見つけたぞ!)
千里は、左肩を右手で押さえている。
千里の異様を恐怖を浮かべて見つめる3人組。
(俺が殺す男を)
包丁を持った人物の絵。
首に相当する部位から真っ二つに切り裂かれている。
感想
前作「僕だけがいない街」以来、ようやく始まった三部けい先生の新連載。
今回も前回と同じ路線のサスペンスミステリーになりそうだ。
まだ明言されていないが、今回の主人公中條千里も前回の「僕だけがいない街」の主人公藤沼悟と同様に何かしらの能力を持っているように見える。
藤沼悟の能力は、自分の見ている光景に無意識に違和感を覚えた際に、自動的に過去に飛んで問題を解決しない限りは過去に戻り続けるという特殊なものだった。
それに対し、千里は何か過去の映像を見ているようだ。
その能力発動のきっかけは痛みだろう。
金髪坊主に左頬を殴られた時。
そして、ビンで自らの左肩を打ち付けた時。
おそらく千里の行動原理は復讐と消息を絶った兄の捜索? もしくは犯人への復讐か?
自分の家族を奪い去った犯人への復讐のため、連れ去られた? 兄を探すためにも日々、犯人の姿を追っているのだろう。
そして、痛みを得た時に見る映像から犯人のヒントを得られないか、そして犯人追跡のための資金稼ぎとして、日々、痛みと金を得るような状況に厭わず飛び込んでいるのではないか。
今後、消息を絶った双子の兄の存在も物語に大きく関わってくるだろう。
というか、むしろ千里が見ていた映像は兄が見ていた映像ではないか?
そうなると、肩に自ら瓶で打撃を加えた際に見た映像が、腕に傷を持った男に腕を掴まれている男の子の視点であることに納得がいく。
まだまだ主人公の目的が明言されていないが、犯人を追うことだけは確かだろう。
今後の展開が楽しみ。
夢で見たあの子のために (1) (角川コミックス・エース) [ 三部 けい ]
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以上、夢で見たあの子のために第1話のネタバレ感想と考察でした。
第2話の詳細はこちらをクリックしてくださいね。まとめて読みたい。
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