第94話 進路
第93話のおさらい
実質響のマネージャーとなっていた花井は、彼女にそれらの仕事の内容を逐一伝えながらも、響が全て断るように言うことが当たり前だったのでやってくる仕事の依頼の全てを断り続けていた。
花井は響に電話で、バイトが終わったら勉強に集中すること、この一年は小説のことは考えても考えなくてもいい、と告げる。
そして、一緒に仕事をするのは来年から、と電話を終える。
カレー屋で、花井は西ヶ谷コウに彼女の新刊『プリンセスタイム』が2千部重版したと伝える。
驚いている西ヶ谷に、花井は、今、文芸の注目度が上がっていて、出版界全体を見れば落ちているが『木蓮』の部数は上がっていると説明し、読者が目にとめさえすれば西ヶ谷の小説はもっと売れるべき作品だと続ける。
そして間を置かず、西ヶ谷が今書いている新作は『木蓮』に載せられず、書き下ろしの単行本になると告げる。
西ヶ谷はその悪い話に特に動じることも無く、バイトしてるから食うには困らないとあっさり受け入れる。
「バイトしてるから食うには困らないス。」
花井は、クレームを一切言わない西ヶ谷を、連載なら印税のほかに原稿料が出せるし、定期的に連載があればバイトも辞められる、と気遣うのだった。
西ヶ谷は、重版の30万もあるし、とさっぱりしていた。
そして重版が本当にあるんだな、と喜びを噛み締めた後、その目に涙を浮かべる。
焦る花井に、西ヶ谷は今までの本も全然売れておらず、捨ててるかもって思ってた、と抱えていた不安を吐露するのだった。
これからもっと重版重ねましょう、と花井は明るく振舞う。
小論社編集部に帰社した花井は、隣のデスクの坪井が担当している小説家に自分が先ほど西ヶ谷に伝えたのと同じく、連載ではなく書き下ろしになってしまう旨を謝罪しているのに出くわしていた。
文芸ブームが来ているとしながらも、連載の枠を空けられないもどかしさを感じている坪井。
連載による定期収入があれば、担当している小説家である狩野もバイトを辞められるんだけど、と呟く。
そんな坪井に、花井は次の会議で出そうとしている企画書を差し出す。
それはインターネット上で展開する文芸誌「WEB木蓮」の企画書だった。
花井は文芸ブームの受け皿が足りない現状で、裾野を広げられないかと思ったからとコンセプトを簡潔に説明する。
面白がる坪井だったが、編集長は流すだろう、と悲観的に答える。
編集長をオッサン呼ばわりして、説得するにはどうしたらいいかと話す花井の背後に編集長が立っていた。
しかし編集長は特に反応することなく、特に理由を言うことなく花井を喫煙室に誘う。
ロクな話ではないだろう、と警戒する花井は編集長のあとに喫煙室に入って、そこにいる面子に驚く。
花井も編集長に続く。
そこには文芸編集局局長、営業部の局長、そして社長といった小論社の上層が花井を待ち構えていたのだった。
社長は花井に、文芸の業界全体が活気づくのは出版に携わって30年の間で初めてと神妙な表情で続ける。
花井は状況が飲み込めず、内心、褒められているのかと不安を拭えずにいながらも社長の話を聞いていた。
文芸ブームは今のままだと一過性で終わるので、編集長とそれを定着させるにはどうしたらいいかと話していたと社長。
話の流れを読み切れず、耐えられなくなった花井は自分が企画を考えていることを報告する。
話の流れに身を任せるのが不安になった花井が手を挙げる。
しかし社長はそんな花井の言葉を遮りいよいよ本題に入る。
「これはあくまで雑談だが、君から了解が出れば確定事項になる。」
「4か月後に純文の新雑誌を作ろうと思う。編集長は花井に任せる。」
「ただし条件がひとつ、響の新連載を始めること。」
花井は重役たちを前に、ただただ唖然としていた。
編集長も「雑談だ」と前置きしておきながら、しかしその実、社長たちと同様に真剣な表情で花井を見つめていた。
社長は花井に、今週いっぱいを期限として、それまでに響と新連載について話をつけて来るようにと命じるのだった。
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第94話 進路
響の仕事を断る花井だが……
現在発行されている純文学雑誌は『木蓮』を含めて5誌。
その中でも最も新しい『めばる』も創刊は1962年と歴史がある。
そしてそれ以来、純文学雑誌は増えることも減ることもない。
小論社の外、階段に座って物思いに耽る花井に声をかけたのは小論社の別部署で働く幾田だった。
幾田は花井を捜していたと紙袋を手渡す。
それは幾田が現在、担当しているという鏑木紫の『カナタの刀』という先月完結したばかりの漫画だった。
その作品が二千万部売れていることを知っていた花井に、幾田は鏑木紫が『お伽の庭』を原作に漫画を描きたいという要望を伝える。
あきらめて、とにべもなく断る花井に幾田が追い縋る。
「『お伽の庭』がメディア化を全部断ってるのは聞いてるけど! 同じ会社のコミカライズなら手間もしれてるだろ!」
再び、残念だけど、と断る花井。幾田を一瞥すらしない。
話し合いの場をセッティングするだけでいい、あきらめない幾田に、花井は毅然とした態度を崩さない。
「悪いけどキリがない。とにかくあの子は今高3、人生で一番大事な時期。お願いだからそっとしておいて。」
(条件がひとつ、響の新連載を始めること。)
社長から提示された”新雑誌の編集長を任されるための条件”が花井の脳裏にチラつく。
しかし幾田は花井にしつこく、ただ黙って原作使用の契約書にサインをしてくれ、と食らいつく。
はあ? と信じられないという表情で素っ頓狂な声を上げる花井。
こっちで勝手に描く! と幾田の暴走は止まらない。
「鏑木紫は天才だ! 100%信頼してくれて問題ない! 黙って許可だけ出してくれ!」
花井は、響の作品だから、と却下する。
「鏑木紫が描けば鏑木の作品になる! 同期のよしみで! 頼む!」
当然強く拒否する花井。
進路について質問する響
来々軒でのバイトを終え、帰りの挨拶をする響を店長が呼び止める。
柴田ともうまくやれているのでクビの話はなしにして、続けたければ続けていい、と店長。
しかし響はお金の目途はついたとして、これから将来のことを考えるとその申し出を断る。
受験勉強するのか、という店長に、響は受験して大学に行くかどうかもバイトを辞めるまでに決定しようと考えていると答える。
そして店長が高校3年生の時にどうやって進路を決めたのかと質問する。
毎日ダラダラしたりケンカしたりしてばかりでそれが一生続くと思っていた、と店長。
その頃に関して後悔しかないものの、今その頃に戻ったとしても同じように過ごすだろう、と悟った表情で答える。
「バカだから。」
響は、なるほど、と相槌を打つ。
しかし店長は、バカなりにその時その時を本気で生きてる、と付け加える。
「お前は俺と違って先のこと考える頭があんだから、お前なりに本気で考えてみろ。」
響は店長のアドバイスを素直に聞き入れ、これから小説の先輩に話を聞きに行くから色々聞いて考えてみる、と答える。
来々軒を出て向かったのは祖父江家だった。
リカの母が響を家の中に迎え入れる。
リビングのソファでは、祖父江秋人がグラスを片手に本を読んでいた。
祖父江の対面に座った響。
早速さきほど店長に聞いたのと同じ質問をする。
あー、と質問を聞き入れる祖父江に、響はテーブルの上に彼が置いた読みかけの本が何なのかと問いかける。
「steve Erickson.『Days Between Stations』響ちゃん、英語は読める?」
日本人の高3程度には、という響に、本で読めるようになったらオススメの海外小説を貸してあげる、と祖父江が答える。
ここ10年受けていないが、インタビューでその質問をされた際には、その時思った事をただ口にしていたという祖父江。
しかし響が自分の進路の参考にしようと思っているのであれば、あの頃自分が何を考えてどう行動したかを正しく言葉にできる自信がないので、真剣には聞かないでほしい、と前置きする。
それを了解する響。
祖父江は自分の高3の頃について話し始める。
高3までは受験は意識していなかったが、3年になった時に、それまでたまり場にしていた友達の部屋が受験勉強で使えなくなった。
さらに周りも受験を意識しだしたので自分も仕方なく受験を考えるようになる。
小説は好きだったものの、作家になりたいとも思っていなかったから書いたことはなかったし、そもそも将来を真剣に考えたことすらなかった。
世間で働くイメージがもてなかったが、勉強はできたので受験することにした、とまで話して響に視線を送る。
「参考になったかな?」
響は、全然、と即答する。
続いてリカの母が自分はモノを作る人になりたかった、と話し始める。
フィンランドには奇麗なものを作る人がいて、造形作家になりたくて芸大に行ったが、卒業すらできなかった、と振り返る。
「あの頃は辛かったけど、今は幸せよ。」
リカの母は笑顔を響に向ける。
なるほど、と響。
「参考にする。ありがとう。」
結論
学校の教室で、響は花代子から進路について聞いていた。
国立大学は無理だから私立。本当は東京に行きたいが母から地元の大学に行けと言われている、という花代子に、響は大学で何をしたいのかと問いかける。
サークルだと答えた花代子に、響は大学で何の勉強をしたいのかと再び問う。
「えー、せっかく大学行くのに勉強なんてしないよー」
なるほど、と響。
学校からの帰り道、響は涼太郎と並び歩く。
進路は決まったのか、と言う涼太郎に響は、うん、と答える。
「色んな人に話聞いたけど人それぞれね。具体的な参考にはならなかったけど。」
二人の行く先に立つ人物がいる。
それは小論社の幾田だった。
「……鮎喰響さんですか?」
幾田をスルーする二人。
「今、人生を決める必要はないってことはわかった。今はまだ好きなことだけ考える。」
涼太郎に向けてそう宣言した響。その手首を幾田が掴む。
自分は小論社週刊少年スキップ編集部、花井と同期で友人の幾田海斗と名乗り、話をしたいと訴える。
離さないと殴る、と響。
「『お伽の庭』を漫画にしたく、」
響は幾田が要求を言い切る前にその頬を張り飛ばす。
話だけでも、と頼む幾田の頬を何度も張り飛ばし続ける。
「『お伽の庭』を漫画にさせて下さい!」
幾田は響の振り上げた腕の手首を掴み、強く訴えかける。
「編集部をあげて大プッシュして間違いなく面白いものにします! 僕のクビをかけます!」
響を助けるように、涼太郎が幾田の顔を思いっきり殴り倒す。
そして、響のせいで最近俺とんでもなくケンカっ早い奴になってるな、と呟く。
それに対し、私のせいでもない、と響。
幾田は殴られた頬を手で押さえ、呆然としていた。
そんな幾田に響が訊ねる。
「あなたはいつから今の仕事をしようと思ったの?」
幾田は唐突な質問に戸惑いつつも、本当は漫画家になりたかったが、10年描いて絵が上手くならなかったが漫画が好きだったからと答える。
そしてリュックから『カナタの刀』の単行本を出して再び響に、面白い漫画が描けるなんてとんでもない才能です! と強く訴え抱える。
「その中でも鏑木紫! この人は10年に一人の天才です! 一巻だけでもいいので! 読んでみて下さい!」
響は幾田の訴えを無視して呟く。
「高校の今 将来を決めてその通り進む必要はないみたい。私が当面やりたいこと。外国の小説気になる。海外に行く。」
あきらめたように目を閉じる涼太郎。
響さん! と幾田。
響は幾田に、悪いが今は仕事に興味はないし、よく知らない何かに自分の小説を預ける気もない、と答える。
「これからは留学の為の勉強に集中する。」
「高校の残り一年 小説に関わる仕事はしない。」
感想
自分だったら……
高3の時にどうやって進路を決めたか、と問われたら自分だったらどう答えるかなーと思いながら読んでいた。
今回登場した人物の中で一番自分が近いのは店長かな(笑)。
バカなことはしてないけど、でもあまり先のことを考えていなかったという意味では祖父江も近いのかもしれない。
恥ずかしながら、響に質問されても全然参考になる話はできないことは確かだ。
それでも人生は過ぎていくし、なるようになってしまう。
日本が豊かだからかろうじて何とか生きて来れたようなもんだった。
これは凡人なんてレベルじゃない。かなりダメダメば部類だとつくづく思う。
凡人ならとりあえず自分の入れる限界のレベルの大学を目指すだろう。
つまり、先をそこまで見据えてはいないものの、目標がある。
今振り返ると、何か目指す目標があれば比較的進路は決めやすいんだよね……。
自分には何も目標がなかったわけだ。高3でそういう無気力な生き方はもったいないと思う。
花代子みたいにサークル活動をするためという目標でも、ないよりは遥かにマシだ。
その点、響はやりたいこと、つまり外国の小説が気になるからという理由で海外留学を目指すと、とりあえず目標を定めた。
響は成績が優秀だし、勉強が苦になるようなタイプではなさそうなので自分なりの目標が決まればそこに向けて地道に努力し、望み通りの結果を掴み取れるだろう。
とはいえ、作中はまだ4月とか5月だったはずなので受験や卒業はまだ先のこと。
果たしてその間にどういう話が展開するのだろうか。
決断した響
響は海外を目指す。
フィンランドに一時退避していた時にてっきり、フィンランド編が始まるのかな、と思っていたけど日本に戻ってきたのでこれからも日本で物語が進むのか、と漠然と考えていた。
海外に出るといっても、一体どこだろう? リカのいるフィンランドかな?
響の性格だと、そんなことは全く考慮せず、もっと確固とした自分の意思で行き先を決定すると思うんだよね……。
仮にこのまま海外に、それもフィンランド以外に行くとしたら、誰も知り合いのいない地でどんな物語が展開するのだろう。
響は頭がいいので外国語の習得も造作もなく可能だろう。
ひょっとしたら英語で小説を執筆するようになるのかも……。
そうなったらいよいよ海外に響の才能が知れ渡るということなのか。
そういう展開はわくわくするんだけど、そこにリアリティをどう出すかが見所だと思う。
芥川賞直木賞W受賞は、少なくとも現代ではかなりあり得ない神業だが、個人的には受賞会見とかその後の世の中の動きとかはリアリティがあったと思う。
海外の小説の賞を獲ると、一体どういう風に描写されるのか楽しみ。
賞を獲るのではなく、海外で英語で書いた小説がamazonで売上一番になるとかでもすごい。
何かしらぶっ飛んだことを実現してもらいたいものだ。
揺れる花井
今一番気になるのは花井の選択だろうか。。
花井は一体どうするんだろう……。
これまで通り、響の立場を尊重する立場で今のところ一貫している。
それは響と初めて会った時からずっと変わらない。
たとえ自分が望んだ編集長という地位が自分のすぐ目の前にぶら下がっていると理解していても、これまで響の立場を大切にしてきたわけで、その行動はすぐには変えられないわな。
響のことを大切にしたいと思っているのは変わらない。
けどさすがに、響に連載を確約させれば新雑誌の編集長の席に自分が座れるとなると迷いが生じているようだ。
これは間違いない。
今はどうやって響に受験勉強の傍ら小説を書いてもらうか、その大義名分を練っている段階かな。
意識的にではなく、無意識的に。
もし響を説得するとしたら、自分が編集長になることがゆくゆくは響のためになる、という方向性になってくると思う。
でもそんな見え透いた”お為ごかし”が響に通用するはずがない。
そんなのは響とぶつかりあってきた花井が一番よくわかってるだろう。
それでも花井は今、確実に連載を書いてもらう方向に響の態度変容を促せないかと必死に考えているはずだ。
野心を持っている花井にとっては、そのくらい編集長という地位は魅力的なポストだと思う。
そうじゃないと、幾田から響の仕事を断る際に、社長から言われた条件のことを思い出さないだろう。
花井は今、迷っている。
でも下手すればその迷いを響に悟られること自体が、響との関係の断絶につながっているのではないかと、見ていて心配になる。
基本的に、響にタブーや葛藤は無い。
親友のリカ相手に、響がつまらないと感じた小説の感想をそのままストレートに伝えることに一切の躊躇はなかった。
花井に対しても、自分のことを守ると言ったのに、それに反する行動をとっているのを目の当りにしたら響は問答無用で咎めるはずだ。
ただ、響は高校入学後、花井や文芸部部員と過ごす日々で少しは付き合いやすい人間になっている。
だから、仮に花井を咎めるにしても関係を断ってしまいかねないほどの肉体的、精神的ダメージを与えることはない気がする。
ただもしそうなった時、花井自身が響との約束に背いたという自分の行動を許せなくて、自ら響の担当から外れるという可能性はありそうだ。
まぁ、今考えていることはしょせん妄想に過ぎないんだけど、仮にそんな展開になったら響が花井を求めるだろうか?
実は響は意外と相手にチャンスを与えるようなところがあるからなぁ……。
次回はさらに花井の葛藤する姿が見られるかな?
果たして花井は響にどう相対するのか。注目したい。
以上、響 小説家になる方法 第94話のネタバレを含む感想と考察でした。
第95話に続きます。
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