第1話
零落
[名](スル)
1 落ちぶれること。
2 草木の枯れ落ちること。
猫顔の彼女
猫顔の女性に会うと緊張する、という主人公のモノローグから物語が始まる。
桜の花びらが舞い散る中、電柱の傍らに立つ女性。
彼女は、主人公が新人漫画家の時につきあっていた一学年下の大学の後輩だという。
テレビでタレントが馬鹿笑いしているのを吐き気がする、と内心のイライラを表現したり、あまり笑わなかったり、首を締められている時だけが安心できる瞬間だと言ってみたりするちょっと斜に構えたところがあると彼女を評する主人公。
まだ大学を卒業したばかりの、芽が出ていない新人漫画家だった主人公の漫画を彼女が褒めている。
結構好きです、と言い、しかし、もう多分読みません、先輩の事を知り過ぎてしまうのが怖いから、と続ける彼女。
主人公はそんな微妙な言葉ではなく、いつかもっとはっきりとした明るい言葉で褒めてもらえるけると信じていた。
しかし彼女は主人公の部屋で、こんな自分を演じているのは限界だとふさぎ込む。
「あなたがそう思い描いているであろうわたしを演じてるだけなんです。」
虚しく、疲れた、と顔を伏せたまま続ける彼女。
その言葉をじっと聞いている主人公。
いつも漫画に夢中で理想を追い求める姿は尊敬していたが、彼女は孤独感を覚えていた。
「もっと普通の恋人みたいに気楽に笑っていたい時もあったよ。」
あなたは私のことをわかっていないが、わたしにはあなたのことがわかる、とドアノブを開ける彼女。
「じゃあね。」
開きかけた扉から玄関に光が漏れる。
彼女を引き留めることが出来なかった主人公、深澤は連載で忙しくなり、仕事で知り合った女性編集者と結婚する。
猫顔の彼女との思い出はもう10年前で、彼女と会ってもいなければどこで何をしているのかも知らない。
連載を終えた漫画家
深澤が書店のコミックコーナーで平積みにされている漫画を見ている。
「さよならサンセット」15巻の帯には堂々完結の文字がある。
しかし単行本一冊分しか平積みされておらず、その周りには700万部突破の大人気コミック、と銘打たれたPOPの漫画「君の命が消えるなら僕は歌を口ずさむ」が取り囲むように大量に平積みされている。
自宅に帰る深澤を待っていたのは、おかえり、珍しいねこんな時間に、という妻の言葉。
ハンコ取りに来ただけ、すぐ帰る、と返す深澤。
連載終わったばかりだし休めばいいのに、という妻に、スタッフに仕事を作らないと、と深澤が答える。
「牧浦先生んとこは連載終わるごとにスタッフ解散するって言ってたよ。」
「…まあ仕事の仕方は人それぞれ…」
深澤が言いかけると足元に白猫が寄り添ってくる。
深夜まで打ち合わせだから、と言う妻に、連載の打ち上げで遅くなる、と猫を抱きかかえながら答える深澤。
その目がテーブルの上にある「君の命が消えるなら僕は歌を口ずさむ」を捉える。
それもう読んだ? すごい良かったよ、と玄関で靴を用意しながら妻が言う。
「薫くんも好きそうな話だし、次の参考になるんじゃない?」
その作者は若く、もっと売れる、来週会うことになっていると妻が続ける。
深澤は漫画を手に取り読む。その膝に顎を乗せて白猫が寝ている。
仕事場に移動した深澤。
アシスタントの男女二人が入って来る。
神保町で打ち上げ、という深澤の言葉にメガネの女性が喜び、深澤に問いかける。
「せんせー。今日から私たち何描けばいいんですか?」
PCの置かれた仕事机の前で腕組をしている深澤。
「とりあえずなんか適当に……使えそうな背景描いといて。」
少し間をとった後、アシスタントにもやっとした指示を出す。
打ち上げ会場の店。
8年間の長期連載おつかれさまでした、と担当編集者が立って挨拶している。
3列に積まれた単行本と、そのすぐ後ろに「深澤先生連載お疲れ様でした」と書かれたボードが立てられている。
一言挨拶を求められた深澤は立ち上がる。
「え――――…本日はどうもお集りいただき…ありがとうございます…」
ぽつぽつと挨拶を始める深澤。スマホ画面をじっと見ている男がいる。
「これからもずっと…もっと面白い作品を……読者に面白いと思ってもらえるような漫画をこれからも……」
目を閉じ、腕組みをして聞いているヒゲのアシスタント。
スマホを見ているメガネの女性アシスタント。
その隣の男性もスマホを見ている。
「これからも……これからもずっと……」
無表情の深澤による静かな挨拶は、まるで深澤がその場に存在していないかのように虚しく響く。
打ち上げが終わり、タクシーの中。
メガネの女性アシスタントが、良かったですね、編集がたくさん集まってくれて、と深澤に話しかける。
それに対し深澤は、それはただの慣例で、誰も話を聞いていなかったと答える。
「出版社からみればもう終わった作家なんだろうね。」
連載作の評判よかったし、フォロワー多いし、そんなことないのでは? という女性アシスタントに対し、最終巻の部数がどれだけ減らされたか知ってる? SNSなんて遊びだと淡々と答える深澤。
作品の内容など関係なく金を使う客だけターゲットにしている販売。
若く飽きの早い読者。
ファンが一部信者化して残ってもかつて売れたことを鼻にかけた老害作家になるだけ、と毒を吐く。
女性アシスタントは、ここら辺ずっと工事してますよね、と深澤にまともに言葉を返さない。
「冨田ちゃん 俺の話聞いてる?」
新人賞の結果出たの? という深澤の問いに最終選考まで残った、と答える冨田。
それは良かったね、と答える深澤に、冨田は矢継早に、いい感じの仕事の波に乗っていることを話す。
追い風が吹き始めた、実力はあるんだからがんばりなよ、と淡々とした様子の深澤。
無邪気に、ありがとうございますー、来年こそはがんばりますー、と答える冨田。
冨田が、おつかれさまでした、とタクシーを降りる。
来週からもよろしく…とタクシーの後部座席から言う深澤。
冨田は返事もせず、早々にスマホを操作している。
そんな冨田の後姿を深澤が見ていると、タクシーの運転手から道を提案され、はい、と答える。
手元のスマホに妻からラインが入る。
町田のぞみ:今
酔っぱらった牧浦先生がうちに押しかけてきちゃったから、どこかで時間潰してもらっていい?
それを見て、深澤は運転手に、やっぱり新宿のほう戻ってもらっていいですか……と、先ほどの道から別の進路を示す。
夜の街を彷徨う
夜の人波の中、深澤が横断歩道を渡る。
店の中で漫画家らしき人が編集らしき人から容赦の無いダメ出しを受けている。
素直にどう原稿を直せばいい、と聞く漫画家にそうして助言を請う時点で才能無いと追い詰める編集。
「そもそも説明して直せる頭があれば最初からこんな漫画持ってこないでしょ?」
隣の席にいた深澤は耐えきれず、店員に会計を頼む。
深澤は再び夜の人波の一員として歩いていると、無料案内所の看板で視線を止める。
色白で若い子……、おっぱいはどうします? という問いに、深澤は、おまかせします、他もなんかいい感じでお願いします、と答える。
PCの前に座っている男が、じゃそれで検索しますね、と答える。
女性との待ち合わせ場所のホテル。
ベッドに座ってSNSをチェックしている深澤。
深澤先生! 最終巻買いました、や、最終巻感動しました、と肯定的評価のツイートを無表情で読んでいる。
ドアをトントンとノックする音がして、深澤がドアを開ける。
「こんばんわ――――『ゆんぼ』です。」
そこには色白で若い女の子がいた。
無表情のままの深澤。
部屋に感心している様子のゆんぼ。
「…じゃン!! JKだお!!」
ゆんぼが女子高生姿でポーズを決める。
その様子を見て深澤は思わず口元に手を持っていく。
笑わないでよ、最近まで着てたんだから、と言うゆんぼに、いや、似合うよ、と返す深澤。
ゆんぼがもっとリラックスすればいいのに、と言うと、こういうの学生以来で、働き詰めで余裕もなかった、という深澤。
何の仕事? と聞いてからすぐ、待って、当てるから、と言って考えるゆんぼ。
「漫画家」
深澤が答えると漫画の話でゆんぼの反応が良くなる。
「漫画なんてつまらないよ。」
無表情で言う深澤。
なんで? と振り向いて問いかけるゆんぼ。
ベッドの上で深澤が仰向けになり、その上にゆんぼが覆いかぶさる。
「変なの。漫画家のくせに漫画が嫌いなの?」
「…嫌いだよ。」
ゆんぼは、好きすぎて嫌いになっちゃう時ってあるよね、わたしもそうだった、と深澤を慰める。
少し疲れちゃったんだね、と言って深澤を包み込むゆんぼ。
「…うん ありがとう…君は優しい子なんだな…」
深澤があぐらをかいているゆんぼの正面からお腹に顔を埋めるようにしてゆんぼの背中に両手をまわす。
「…おろろ? どうしたの泣かないで。いい子ちゃんいい子ちゃん。」
「なんで結婚したんだよ。」
スマホのラインの画面。
お疲れさまです。了解しました。と言う文面。
妻、町田のぞみとのラインの履歴が表示されている。
2/2(水)
深夜から打ち合わせなので帰りは明け方になります。
わかりました。
2/11(金)
明日から取材で大阪に行ってきます。帰りは週明けになるので、猫のご飯お願いします。
はい。了解です。
帰りは遅くなる、はいわかりました、というやり取りだけ。他の連絡はない。
「せんせー。今日は何描けばいいんですかー?」
仕事場でPCの前に座っている深澤に冨田から声がかかる。
深澤はPCのディスプレイに昨夜のゆんぼのプロフィールページを映している。
「適当に使えそうな背景描いといてくれる?」
洗濯行ってくるんでよろしく、と二人のアシスタントに声をかけて出て行く深澤。
深澤は、コインランドリーでイスに座ってスマホの画面に昨夜の風俗店のページを開いている。
ページ下部には「いますぐ電話でご予約!」というボタンが表示されている。
じっと画面を見つめていると、ヤンマン編集部から電話がかかってくる。
化粧品の広告漫画の依頼で、ギャラが10倍と聞いて、深澤は、いいですね、と返すが、次回作に集中したいと断る。
電話を切った深澤がふと下を見ると、ご自由にお持ち下さい、と表示された不用品の中に漫画がある。
「たかが漫画家のくせに何を偉そうにとは自分でも思うよ…」
結婚式。
チャペルを歩く新郎新婦。出席者は皆、歩いている新郎新婦に注目して祝福している。
「あ? …深澤、今なんか言ったか?」
いや別に独り言、と答える深澤。
武藤の奥さん妊娠五か月だってよ、という男に、びっくりだよ、と返す深澤。
ゼミ連中は皆世帯持ち、どうにかなるもんだね、と感慨深げな男。
加賀が、お前が式に来たのがびっくり、連載まだ続いてるんだっけ? と深澤に問う。
終わった、と答える深澤に、忙しそうだったもんな、余裕もあるんだろうし子供は作らないのか、と問う加賀。
「町田も仕事があるからな…向こうのほうが俺なんかよりずっと忙しそうに働いてるよ……」
町田ちゃんももう結構いい歳だろ? 子供つくるならそろそろじゃねーの? という加賀に深澤は、仕事優先で、そういうつもりで結婚してないし子供の話は一度も出たことがないと答える。
ブーケトスが行われ、女性が群がる。
じゃあお前、なんで結婚したんだよ、という問いになんとなく、断る理由もなかったから、と答える深澤。
「でも実際その頃は、お互い仕事に理解があって干渉もしないいい仲間だと思っていたからな。」
コイツにはコイツの価値観があるってことだ、と深澤の肩に腕をまわす男。
「大学ん時から深澤は頭ん中が漫画の事ばっかりで他に全く頓着しないそういう奴だろ?」
「それで実際コイツは売れたしな。たいしたもんだよ。」
山石、相変わらずギラついてるな、と言われ、山石はお前も酷え面だぜ 祝いの席だぞ? と返す。
この歳になれば、気力、体力も落ちて、仕事にも飽きるだろ? と問いかける山石。
「俺は子供がいるからどうにか踏ん張ってられるけどよ。ずっと自分の好きな仕事に熱中できるってのは正直羨ましいよ。」
黙っている深澤。
「やってらんねぇよこんなの。」
「あれ? 帰ってたんだ お帰り。」
帰宅した深澤を町田が迎える。
領収書取りに来ただけ、すぐ帰ると言う深澤に、町田は、うん、と答える。
あ、そうだ、また来週牧浦先生の付き添いで帰れないと思う、と会話を切り出す町田。
また取材? と問う深澤に、町田は、ううん、と答えて、牧浦先生の漫画賞受賞パーティーだと答える。
今夜も受賞スピーチ原稿を一緒に考えるから遅くなる、という町田に、なんでそこまでするの? いいように使われてるだけだろ、と答える深澤。
私は嫌じゃないし、と言う町田に、深澤が買ってきたコンビニ弁当を持ちながら、だから作家がつけあがる、と毒を吐く。
わかったごめん、と素直に謝る町田。
でもずっとこのやり方でやってきたし、牧浦先生は大切な作家さんだから、と続ける。
「…それ、いつまで続くの?」
深澤は下を向いたまま、無表情でぽつりと言う。
「…え? …深澤くんどうしたの?」
「少しくらいは……俺の話だって聞いてくれてもいいんじゃない?」
言い返すことも無く、黙っている町田。
今夜は無理だけど、明日の夜なら早く帰れると思う、と続ける。
深澤は町田を見ることなく、そういえば、「キミうた」の作者に会うって言ってたでしょ? と淡々と言葉を続ける。
「昨日会ったんだけど私担当で新作、描いてくれそうな雰囲気だったよ。」
「…読んだ。薄っぺらでくだらない漫画だった。」
あれが売れてることに危機感を持て、作り手が読者をバカにしだしたらもう終わり、と深澤の毒が止まらない。
町田は、キミうたの作者は深澤の大ファンですごく影響を受けていると言おうと思った、と言うと、深澤は、じゃあ、俺の漫画もくだらないんだろうなぁ……と表情を変えない。
別にそういうつもりじゃ、と言う町田に、揚げ足をとりたいわけじゃない、何が面白いとか何が売れてるとかに一喜一憂する生活はうんざりだ、と淡々と気持ちを吐き出す深澤。
町田はごめんわかった、じゃあ今話聞くから、と切り出す。
「待ち合わせに遅れるって牧浦先生に電話していい!?」
深澤はその問いに答えず、言葉を続ける。
「君といると俺はもう敗北感しか感じないし、そこまでしてこの生活を続ける気力はもうない。」
「だからもう別れよう。」
町田はスマホを耳に当てたまま、憮然とした表情で深澤の後姿を見つめる。
「もうやってらんねぇよこんなの。」
町田は耳からスマホを離し、同じ表情で深澤の背中を見続けている。
離婚届に記入し世田谷市役所に提出した帰りの深澤。
駅のホームの隅に立ってスマホを取り出し、SNSを見ている。
アカリ@akari pikapikari
@fukasawa_kaoru
せんせー。最近呟いてくれないからすこしさびしいですー。次回作に向けて集中してる時なんですかね…お体無理なさらずに!私はいつまでも新作待ってますよー。
深澤は書き込みを無表情で見つめる。
風が、散った桜を踊らせて、深澤を吹き抜けていく。
疲れ切った深澤の抜け殻になったような表情が胸を打つ。
彼女をないがしろにするほどに好きで好きでたまらなかった漫画。
しかしいざプロになってみると、くだらない漫画ばかりが売れ、販売する人もそこばかりを見ている。
自分の描く漫画はどんどん人気も下火になっていく。世の中から必要とされなくなるのを感じる。
描写には無かったが、その状況が苦痛で、ついに漫画を描き続けること自体が苦痛になっているのかもしれない。
漫画の編集者としての仕事が最優先で、もはや形式上の妻とのコミュニケーションは家に帰れないだの遅くなるだのといった業務連絡だけ。
一体自分の居場所がどこにあるのかが分からなくなってしまった悲しい漫画家が見事に描かれている。
気分が沈む。途中のゆんぼちゃんは笑ったけど、常に寂しさ、哀しさが第1話全体の底に流れている。
それはきっと、2話以降も同じだろう。
深澤は浅野いにお先生の気持ちがそのまま乗り移ったようなキャラなのか?
漫画家って皆が皆じゃないだろうけど、こんなに疲れてるの?
深澤は曲りなりにも15巻まで出た漫画の作者で、漫画家としてはそれなりに成功している方だと思うんだけど、だからこその危機感みたいなものがあるんだろうか。
今後、この物語はどう展開していくのか。
このままただゆるやかに堕ちていくだけなのか。
少なくとも、かつての彼女と再会して人生を再生していくという線はないだろうなぁと思う。
そういう雰囲気のマンガじゃない(笑)。
もしそういう路線なら、最後のSNSで深澤を信奉しているユーザーと会うとか。それも大穴中の大穴だろう。
先が気になる。
以上、零落第1話のネタバレ感想と考察でした。
次回、零落第2話のネタバレ感想と考察の詳細は以下をクリックしてくださいね。
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