第8話
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新人漫画家時代の回想
アシスタント先で深澤の連載決定が話題になっている。
深澤は、不定期連載だから、と謙虚とも弱気ともとれる返事をする。
アシスタント先の漫画家も、他のアシスタントも深澤の連載を喜ぶが、一人の男のアシスタントが冷や水をぶっかけるような言葉を投げかける。
「ああいう新しいぶってるだけの雰囲気漫画じゃ続くかどうかは確かに心配ですね。」
アシスタントの言葉は続く。
「…深澤君てさ、好きな漫画とか影響受けた作家いる訳?」
深澤は、そういうのはあんまり、と答える。
そういう事ですよ、と自分の作業している原稿から目を離さずにグチグチと言葉を返すアシスタント。
漫画への愛も、作家への敬意にも欠ける。
どうせ手塚も石ノ森も読んでない。
変わったことをしていれば個性だと思っているだろうが、それは過去の天才達が遣りつくした表現。
男のアシスタントはネチネチと自分の常識や知識の範囲内から深澤を攻撃し続ける。
「あー上原くん まあまあいいじゃないそういう話は…」
漫画家が窘める。
しかし上原は深澤への攻撃をやめない。
「こういう舐めた若い奴らが増えたら漫画が終わりますよ? 俺は全力で潰したいですけどね。」
深澤は原稿に目を投じたままじっと聞いている。
愚痴
満開の桜。風に吹かれて花びらが舞っている。
「…上原さん、年下の俺に抜かれて露骨に苛立ってんだ…」
隣で一緒に歩いている彼女に淡々と愚痴る深澤。
自分の漫画を描いてないのにアシスタント先では漫画の知識と仕事論ばかり。
作家志望なら自分の作品で語ればいい。
自分も子供の頃から漫画ばかり読んできて、今も24時間漫画の事を考えている。
経験では先輩に敵わない部分もあるが、軽々しく口にしたくない程度には漫画に対して愛情がある。
上の世代に認められなきゃ潰される業界なんて新しい才能が集まる訳がない。
「狭量で懐古主義な漫画ファン達が漫画業界の首を絞めてるって事、誰も分かってないんだ……」
深澤はここまで一気に職場での愚痴を彼女に話し続ける。
立ち止まる彼女。
彼女の数歩先から振り返る深澤。
「…ねぇ。俺の話聞いてる?」
当時の深澤は大学を卒業したばかりの中々芽の出ない新人作家だったが、彼女は最初に深澤の漫画を褒めてくれており、それが当時の深澤の支えだった。
私は漫画の事、わかりませんから…、と前置きして彼女が話し始める。
「その場で反論できなかったくせに、私に怒りを撒き散らすのはフェアじゃないなって思います。」
それはそうかもしれないけど、と深澤。
彼女は、腹部の前で両掌を組んでいる。
ごめん、と謝る深澤。
「先輩は私が誰だか知ってますか?」
彼女が質問する。
彼女の呟くそれを「訳のわからないこと」だと思う深澤。
「いや…君は……君だろ?」
彼女は、それは深澤から見た私であり、本当は私が何者なのか深澤は知っているのか、と問いかける。
「君の言うことはよくわからない。」
いつしか彼女を恐れるようになった深澤。
彼女は、私にはあなたがどんな人なのかがわかる、と深澤を真正面から見ながら言う。
彼女をじっと見る深澤。
「あなたは…化け物です。」
彼女は口元に微笑を湛えていた。
サイン会
花びらの舞う桜の木の下で桜を見ながら深澤が電話をしている。
深澤は、夜、仕事場に行くまでに仕事を終わらせておけと告げる。
「…いや、多分できますじゃなくて必ずやれよ。…君、仕事なんだと思ってんの?」
深澤の仕事場のチャイムが鳴る。
玄関に出た深澤の元に段ボール箱一杯の「星降る町のポラリス」の第1巻が届く。
深澤は一冊手に取って表紙を眺める。
書店。
立て看板には「深澤薫先生サイン会」と貼り紙されている。
長丁場のサイン会ですがよろしくお願いします、と書店員が深澤に声をかける。
深澤はテーブルに向かってイスに座っている。
深澤のすぐ後ろでヤンマン編集部の徳丸です、と書店員に名刺を渡している。
もう一人の書店員が深澤が持っている、「冨田奈央」著の「小鞠田マリ子は相当困っている」という漫画の単行本を見て、それどうしたんですか、と声をかける。
深澤は、昔自分の所で働いていた子の漫画で、下の売り場で見かけたからと答える。
冨田先生、元スタッフさんなんですか? と女性の書店員。
「その本、結構話題になってますよ。」
「…ふうん こんなのが売れてんの。」
「…いやいや深澤さんの方が全然売れてますから!!」
徳丸が笑顔で声をかける。
「先生の最新刊本当に素晴らしかったです!!」
男性書店員が笑顔で続ける。
「ネットでも泣けるって話題になってますよ。」
一瞬の間のあと、深澤が、それはよかった、と笑いもせずに言い、静かに続ける。
「馬鹿でも泣けるように描きましたから…」
「はは!! さすが!!」
徳丸が明るく言うが、その目は笑っていない。
二人の書店員は深澤を見たまま憮然としている。
「今の漫画業界にとっては、この程度の媚びた漫画が丁度いんでしょうね。」
深澤は感情の起伏もなく、淡々と続ける。
「まあいいんですけど。たかが漫画ですから。」
アカリ
深澤のツイッターでも書店でのサイン会が告知されている。
深澤薫@『星ポラ』1巻発売中@fukasawa_kaoru
04/03
『星ポラ』1巻本日発売です!! 読者の皆様にお届けできる日を迎えられて感無量です…!!
スタッフ・関係者の皆様にも感謝です。午後から新宿でのサイン会もよろしくお願いします!!
コメント、いいね、リツイートは21件、150件、285件とそこそこ反応がある。
サイン会には行列が出来ている。
「瑠衣ちゃんめっちゃ推せます!!」
深澤からのサイン本を受け取り、笑顔の男性。
「連載がんばってください!!」
「ありがとう これからもよろしくね。」
笑顔で声をかける深澤。
深澤の隣に立つ徳丸が、次の方どうぞー、と列に向かって声をかける。
「あっ…は…ハイッ…」
若い女性が緊張した様子で返事をする。
こんにちは……、と挨拶する深澤。
笑おうとしているが、どこか疲れたような、気だるい表情になっている。
若い女性は目に涙を浮かべ、手で口を覆っている。
「あの私っ…リプライ…」
スマホを差し出す。
「何度か先生から返事貰ってて……」
スマホの画面には二人の女の子の画像が表示されている。
「あ…えっと…アカリちゃん…?」
戸惑い気味に声をかける深澤。
「…私、十代の頃から深澤先生の大ファンで……」
若い女性はスマホをバッグにしまう。
「辛い時はいつも『さよサン』読んで勇気を貰って…何度も何度も救われてきました……」
「…正直『さよサン』が終わった時、本当に悲しくて…もう生きていけないかもって思って……」
アカリは一端言葉を切って泣く。
深澤は目を開いてその様子をじっと見ている。
「…でも『星ポラ』を読んだら胸がいっぱいになって……」
アカリの目から涙が流れる。
「『さよサン』のみんなにはもう会えないけど…先生の優しさと誠実さがすごい伝わってきたから……」
一言も発せずじっと目の前のアカリを見る深澤。
「こんな素敵な漫画が読めるんなら…私は先生のために生きていこうって……」
アカリは涙を拭う。
「漫画の素晴らしさを教えてくれたのは先生です……」
「だから今日はどうしてもお礼を言いたくて……先生は私の神様です…ずっとずっといつまでも描き続けてくださいね。」
アカリは嗚咽しながらも続ける。
「ああっ…先生ぇ…これからもずっと先生を信じてます…!!」
お互いに両手で握手する深澤とアカリ。
「…え?」
意外そうな声を出す深澤。
深澤の目からも涙が零れている。
手を繋いだまま、深澤はまるで祈るように俯く。
そして、繋いでいない左手で口元を覆う
人の行き交う新宿の街並み。
顔
若き日の深澤に向かって彼女が「あなたは化け物です」と言った直後。
深澤は言葉に何の反応も示すことなく彼女をじっと見ている。
「…あなたは才能がある人です。私はとても尊敬してます。」
彼女は俯き、ジャケットのポケットに両手を突っ込みながら言葉を紡ぐ。
「それと同じくらい私はあなたが怖いです。」
「漫画に対していつも真剣で、ひたむきで、それが正しい事だと思ってる。」
「自分に夢中で他人の気持ちを考える余裕なんてないんでしょうね……」
「…だからあなたはいつだってそう。」
「周りの人間を無自覚に傷つけ裏切り続ける。」
深澤は一言も発せずに聞いている。
「…先輩。」
「あなたが漫画を描き続ける限り、あなたが漫画家の夢を諦めない限り、あなたは誰も幸せにできない。」
「死ぬまでひとりぼっち。」
「だって先輩はこの世の中で、漫画家が一番偉いと思ってるから。」
「それでもあなたは、前に進んでしまうんでしょうね。」
何も言葉を差し挟むことなく、深澤は冷徹な目で彼女をただ見据える。
感想
若い日の彼女は深澤に呪いをかけたんだろう。
漫画一辺倒で、自分の思うような恋人を深澤が演じてくれないから、深澤に酷い言葉を言ったのではないか。
そして、若き日の深澤が恐れた通り、彼女の「誰も幸せにできない」という言葉は、売上至上主義の漫画業界への軽蔑、そこからくる漫画への情熱の喪失、さらには実生活の破綻という形で将来の深澤を苛み続けた。
漫画家としては一定の成功を収めたはずである深澤は、幸せを実感出来ず、それどころか幸せは深澤から遠ざかってすらいた。
でも、深澤は誰も幸せには出来なかったのか?
それは違った。
サイン会で真摯に自分の気持ちを伝えてくれたアカリの言葉は、確かに深澤の心を捉えた。
握手をしたまま口を押えていた深澤の表情は本当に複雑。
こんな表情が描けるあたり、やはり、浅野いにお先生の作家性には舌を巻く。
この表情はアカリからの感謝の言葉に感動したというただそれだけではない。
むしろ後悔の方が深澤の心の多くの割合を占めた上での表情じゃないかと感じる。
普段から漫画をぞんざいに扱い、タイミングもあるのだろうけど、自分の周囲の人と衝突し続けて、業界はおろか、果ては読者まで馬鹿にし始めていた深澤。
近いところでは、サイン会直前に深澤が発した「馬鹿でも泣けるように描きました」、「たかが漫画ですから」という最悪の言葉への後悔か。
これだけではなく、1話~7話において漫画を腐すような深澤の発言のその全ては、今の漫画業界で自分の理想を追求できないことへの、どうしようもない自分自身の、そして世の中への一種の諦観から来た言葉であり、深澤の本心ではないだろう。
ただただ、深澤はストイック過ぎた。
アカリの言葉は、深澤の魂を救い、改心を促し、今後の深澤を救い続けるものであると信じたい。
一応未来を感じられるラストで良かった。
以上、零落第8話(最終話)のネタバレ感想と考察でした。
零落の単行本は10月末に発売予定とのことで、デザインがどうなるか今から楽しみ。
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